宮崎省吾
人物・経歴
東京出身[1]。1961年一橋大学社会学部卒業[2]。大学在学中川岸近衛、平尾光司、飯沼健真、酒井武史らと学生運動に参加。政治学岡義達ゼミ出身。大学卒業後は総合商社や、貿易会社勤務を経て、貿易商人となり、貨物線反対運動に参加[3]。1966年国鉄横浜新貨物線反対同盟連合協議会事務局長に就任。独自の住民運動を展開した[1][4]。
著書
- 『いま、「公共性」を撃つ : 「ドキュメント」横浜新貨物線反対運動』新泉社 1975年(復刻版 創土社 2005年)
脚注
- 宮崎省吾(読み)みやざき しょうごコトバンク
- 「150 年史準備室 No.4 2018.3」] - 一橋大学機関リポジトリ
- 宮崎省吾「私の(住民運動)思想史における一橋大学時代(1957-1961)」『一橋大学創立150年史準備室ニューズレター』第4巻、一橋大学創立150年史準備室、2018年3月、32-53頁、doi:10.15057/da.18537。
- 道場親信、[1960-70年代「市民運動」「住民運動」の歴史的位置 中断された「公共性」論議と運動史的文脈をつなぎ直すために]『社会学評論』 2006年 57巻 2号 p.240-258, doi:10.4057/jsr.57.240
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