奥行臼駅
奥行臼駅(おくゆきうすえき)は、北海道野付郡別海町奥行にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅(廃駅)である。電報略号はオユ。事務管理コードは▲111724[2]。かつては、別海村営軌道が当駅で接続していた。
奥行臼駅 | |
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奥行臼駅舎(2007年10月) | |
おくゆきうす Okuyukiusu | |
所在地 | 北海道野付郡別海町奥行 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 標津線 |
キロ程 | 36.0 km(中標津起点) |
電報略号 | オユ←ヲユ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
6人/日 -昭和56年- |
開業年月日 | 1933年(昭和8年)12月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)4月30日[1] |
乗換 | 別海村営軌道 |
備考 | 標津線廃線に伴い廃駅 |
歴史
- 1933年(昭和8年)12月1日 - 国有鉄道の駅として開業[1]。一般駅[1]。
- 1959年(昭和34年)4月1日 - 業務委託化。
- 1974年(昭和49年)9月 - 貨物用側線が廃止・撤去される。
- 1980年(昭和55年)4月30日 - 貨物の取り扱いを廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 無人駅化[3]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)4月30日 - 標津線の廃止に伴い、廃駅となる[4][5]。
- 1990年(平成2年)2月 - 旧駅舎・詰所とホームを別海町の有形文化財に指定することが決まる[6]。
駅構造
貨物及び荷物取り扱い廃止までは、島状の1面1線の単式ホームと、駅舎とホームの間に貨物積降線1本、及びホーム外側に厚床側から引き入れた留置線を有した。駅舎は構内の西側(中標津方面に向かって左側)にあって地面に直接建てられ、ホーム中央の駅舎側に設けられた階段へ、線路を横切る形で連絡した。駅舎横の中標津寄りには、ホーム状の貨物積降場が設けられていた。
貨物及び荷物取り扱い廃止後は貨物積降線が撤去され、路線廃止まで本線と留置線の構造であった(現在遺構に立てられている看板に書かれた「貨物引込線」とは、駅舎とホーム間の貨物積降線のことである)。
1963年から1971年まで、別海町上風連まで繋がる殖民軌道風連線(別海村営軌道)の停車場と、そこから駅前を横切って当駅の貨物積降場まで伸びる貨物用線があった。
現況
保存
脚注
- 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、928頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、247頁。doi:10.11501/1873236 。2023年4月2日閲覧。
- 「通報 ●飯田線三河川合駅ほか186駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報号外』日本国有鉄道総裁室文書課、1986年10月30日、12面。
- “JR3線今月末廃止”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1989年4月26日)
- “道内長大3線廃止 バス転換から1年 天北線 名寄本線 標津線”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年5月2日)
- “旧JR標津線 奥行臼(おくゆきうす)駅舎 別海町有形文化財に指定へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年2月27日)
- “アイヌ語地名リスト エン~オニシ P21-30P”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2014年1月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年10月20日閲覧。
- “せんこん写真館 簡易軌道 再び光? 「産業遺産」選定だが… 多くはサビだらけ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2005年10月26日)
- “奥行地区23ヘクタール「史跡公園」に 別海町教委方針 文化遺産まとめ観光名所化”. 北海道新聞 (2021年6月1日). 2022年6月10日閲覧。
関連項目
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