大野連治
経歴
千葉県東葛飾郡船橋町九日市で生まれる[1]。第一高等学校を卒業。1927年12月、高等試験行政科試験に合格。1928年、東京帝国大学法学部政治学科を卒業。横浜正金銀行を経て、1929年、内務省に入省し社会局属となる[4]。
1946年1月、内務省文書課長から青森県知事に就任。同年11月24日、仮県庁が全焼した。1947年3月、引揚援護院次長に転じた。その後、全国市長会事務局長、人事院参与、地方公務員災害補償基金理事長を務めた[1][2]。
著作
- 星敏雄との共著『都市計画編』〈土木行政叢書〉、女子文館書店、1940年。
脚注
- 『新編日本の歴代知事』114頁。
- 『現代物故者事典 1991〜1993』129頁。
- “日米開戦前夜「既に勝った」 東条英機首相発言の高官メモ発見 昭和天皇に開戦手順を報告”. 産経新聞. (2018年8月14日) 2020年2月29日閲覧。
- 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』265頁。
参考文献
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.