大石田町
大石田町(おおいしだまち)は、山形県の北東にある人口約7千人の町。北村山郡に属する唯一の自治体。
おおいしだまち 大石田町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 山形県 | ||||
郡 | 北村山郡 | ||||
市町村コード | 06341-0 | ||||
法人番号 | 5000020063410 | ||||
面積 |
79.54km2 | ||||
総人口 |
6,016人 [編集] (推計人口、2023年6月1日) | ||||
人口密度 | 75.6人/km2 | ||||
隣接自治体 | 尾花沢市、村山市、最上郡舟形町 | ||||
町の木 | カツラ | ||||
町の花 | サクラ | ||||
大石田町役場 | |||||
町長 | 村岡藤弥 | ||||
所在地 |
〒999-4112 山形県北村山郡大石田町緑町1番地 北緯38度35分38秒 東経140度22分22秒 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
■ ― 市 / ■ ― 町・村 | |||||
ウィキプロジェクト |
歴史
かつては最上川の舟運で栄えた。延喜式によると、多賀城と秋田城とを結ぶ街道沿いに「野後駅」という駅があったが、その場所は長年、尾花沢市を含む北村山郡内のいずれかではないかと推定されていたが、詳しい場所は分からなかった。近年、町北部の最上川沿いにある「駒籠楯跡」において、掘立柱建物の遺構群が発見され、発掘調査を行っている山形県教育委員会では、この遺跡が「野後駅」であった可能性が高いとしている[1][2]。
大石田の南には、碁点、隼、三ヶ瀬の最上川三難所があり、物資を安全に運ぶためには、大石田河港で陸揚げし、三難所を避けて陸路運ぶ方がリスクが少なく、確実であった。舟運で上流部に運ぶ場合でも、三難所があるため、酒田港からの大型の川舟はここまでしか入れず、三難所を越えるために小型の舟に積み替える必要があり、いずれにしても大石田河港に舟を着けなければならなかった。そのため、大石田は最上川の港としては最大の物資の集積地として繁栄した。天領であり、大石田川船役所が置かれた。その輸送路は山形県村山地方や置賜地方のみならず、奥羽山脈を越えて仙台藩にまで至り、仙台城下に上方の物資をもたらした。
一方、最上川の対岸に当たる横山と田沢は新庄藩の飛び地であった。新庄藩の立藩から幕末まで一貫して新庄藩領であり、横山番所が置かれた。
行政
- 町長:庄司喜与太(2011年11月13日 - 2019年11月13日)
- 町長 村岡藤弥(2019年11月13日 - )
隣接する尾花沢市との合併が協議されて新市名公募をし、「はながさ市」という名前まで決まっていたが、2005年(平成17年)2月13日に大石田町で行われた住民投票の結果、合併反対が多数だったため合併を断念し、2005年(平成17年)3月31日合併協議会も解散した。
地域
教育
かつては町内に山形県立大石田高等学校が存在した。
交通
道路
- 主要地方道
- 一般県道
- 山形県道121号尾花沢大石田線
- 山形県道123号荻袋大浦線
- 山形県道189号大石田土生田線
- 山形県道305号大石田名木沢線
- 山形県道306号次年子大浦線
- 山形県道381号村山大石田線
観光ほか
- 大石田まつり
- 最上川大花火大会
- 大石田ゴルフクラブ
- 大石田そば街道
- 乗船寺
脚注
- 山形新聞 (山形新聞社). (2008年2月25日)
- 「大石田・駒籠楯跡で大型建物跡見つかる 「野後駅」の可能性さらに」『山形新聞』山形新聞社、2011年8月22日。
- “5429世帯断水、復旧めどたたず 尾花沢と大石田”. 山形新聞 (2020年7月30日). 2020年7月20日閲覧。
- “令和2年7月3日からの大雨による災害にかかる災害救助法の適用について【第11報】”. 内閣府 (2020年7月29日). 2020年7月20日閲覧。