千年 (川崎市)
千年(ちとせ)は、神奈川県川崎市高津区の大字[5]。2011年(平成23年)11月17日時点で、住居表示は施行されていない[6]。面積は1.00 km²である[1]。
千年 | |
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千年交差点(2011年5月8日) | |
千年 千年の位置 千年 千年 (神奈川県) | |
北緯35度34分36.0秒 東経139度37分42.81秒 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 神奈川県 |
市町村 | 川崎市 |
区 | 高津区 |
支所 | 橘出張所 |
町名制定 | 1937年(昭和12年) |
面積 | |
• 合計 | 0.999451898 km2 |
人口 | |
• 合計 | 13,150人 |
• 密度 | 13,000人/km2 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
213-0022[3] |
市外局番 | 044(川崎MA)[4] |
ナンバープレート | 川崎 |
地理
高津区の南東部に位置し[7]、神奈川県道14号鶴見溝ノ口線を境として、東側が平地、西側が丘陵地帯となっている[8]。河川としては、千年を挟むような形で南方に矢上川が、東方にその支流である江川が流れている。
千年は北端で新作と、東端では千年新町や、江川を挟んで中原区下新城と接している。南端では子母口や子母口富士見台と、西端では宮前区・高津区の野川と接している(特記のない町域は高津区所属)。
歴史
当地からは弥生時代の遺跡が発掘されているほか、橘樹郡の郡衙に比定される影向寺の近くから古代の建物群が発見されており、郡衙に関連するものではないかと考えられている[7]。また、当地にある能満寺は、影向寺の塔頭であり[10]、行基菩薩の創建と伝わる[11]。
江戸時代の当地は清沢村と岩川村の2つに分かれており、どちらも江戸時代初期には天領であったが[7]、のちに旗本領となっている[12]。村高は、正保期の『武蔵田園簿』で清沢村が393石2斗あまり、岩川村が164石あまり、『天保郷帳』では清沢村が451石4斗あまり、岩川村が211石8斗あまり、幕末の『旧高旧領取調帳』では清沢村が464石1斗あまり、岩川村が214石あまりというように推移していた[12]。
明治時代には、清沢村と岩川村が合併して千歳村が成立し、少しして千年村と改名したが、町村制の施行とともに橘村が成立し、千年はその大字となった[10][12]。明治時代には米と麦の二毛作が行われたほか、副業として養蚕もなされていたが、大正末期には副業が野菜作りへと変化していった[5]。
戦時中には木炭バスの往来に支障したという[5]中原街道の蟻山坂[10]も、戦後には切り通しとして坂が緩和されたほか、神奈川県道14号鶴見溝ノ口線の拡幅整備も行われ、昭和40年代以降は宅地化が進行していった[5]。
沿革
- 弥生時代 - 伊勢山台遺跡・蟻山遺跡などに住居跡が残る。
- 1390年(明徳元年) - 能満寺本尊の虚空蔵菩薩像が造られる[10]。
- 1633年(寛永10年) - 清沢・岩川の両村が旗本領となる[12]。
- 1868年(明治元年) - 明治維新。当地は神奈川県に属する。
- 1874年(明治7年) - 大区小区制施行により、当地は第5大区第4小区に属する[12]。
- 1875年(明治8年) - 清沢・岩川の両村が合併し、千歳村が成立[12]。
- 1878年(明治11年) - 千年村に改称[12]。
- 1889年(明治22年) - 町村制施行により橘村が成立。千年はその大字となる。
- 1937年(昭和12年) - 橘村が川崎市に編入される。川崎市千年となる。
- 1949年(昭和24年) - 蟻山坂の切り通しによる改良工事が竣工[5]。
- 1954年(昭和29年) - 土地区画整理事業により、千年新町が分立する[12]。
- 1955年(昭和30年) - 千年と子母口の各一部から子母口富士見台が分立する[12]。
- 1962年(昭和37年) - 神奈川県道14号鶴見溝ノ口線が拡幅される[5]。
- 1972年(昭和47年) - 川崎市が政令指定都市に移行。当地は川崎市高津区千年となる。
世帯数と人口
2022年(令和4年)6月30日現在(川崎市発表)の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
千年 | 6,298世帯 | 13,150人 |
交通
道路
- 第三京浜道路(京浜川崎IC - 都筑IC間)
- 神奈川県道14号鶴見溝ノ口線(市民プラザ通)
- 神奈川県道45号丸子中山茅ヶ崎線(中原街道)
- 尻手黒川道路
施設
関連項目
- 千年(曖昧さ回避)
脚注
- “町丁別面積(総務省統計局「地図で見る統計(統計GIS)」の数値)”. 川崎市 (2018年5月22日). 2021年12月12日閲覧。
- “令和4年町丁別世帯数・人口 6月30日現在” (XLS). 川崎市 (2022年7月25日). 2022年7月25日閲覧。 “令和4年町丁別世帯数・人口 6月末日現在”
- “千年の郵便番号”. 日本郵便. 2021年8月11日閲覧。
- “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.584。
- “区別町名一覧表(高津区)”. 川崎市 (2011年11月17日). 2012年10月18日閲覧。
- 『川崎地名辞典』 p.378。
- 『角川日本地名大辞典 14 神奈川県』 p.1090。
- “地価公示・都道府県地価調査”. 国土交通省. 2022年7月29日閲覧。
- 『川崎の町名』 p.170。
- “能満寺”. 川崎市教育委員会 (2010年12月20日). 2012年10月18日閲覧。
- 『川崎地名辞典』 p.379。
- 『川崎地名辞典』 pp.380-381。
- 一部が子母口富士見台となっている(『川崎の町名』 p.172)。
- 千年新町となっている(『川崎の町名』 p.170)。
- “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- “高津区の小学校(町丁名順)”. 川崎市 (2019年1月1日). 2022年3月1日閲覧。
- “高津区の中学校(町丁名順)”. 川崎市 (2018年11月5日). 2022年3月1日閲覧。
- “平成28年経済センサス-活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- 企業関連の事務のみを担当。求職や雇用保険の給付手続きなどは溝の口庁舎で行っている。
- “郵便番号簿 2021年度版” (PDF). 日本郵便. 2022年2月28日閲覧。