伊野波盛紀

伊野波 盛紀(いのは せいき、1619年2月15日 - 1688年8月2日)は、琉球王国官僚。唐名は毛泰永を名乗った[1]

豊見城盛良の次男として生まれる。1665年から1688年まで三司官を務める[1][2]

1666年に設置された本部間切(もとぶまぎり)は、盛紀に世襲で与えられた領地である。また、毛氏伊野波殿内と称する貴族の初代当主でもある[1]

脚注

  1. "伊野波盛紀『沖縄コンパクト事典』(リンク先は琉球新報への転載)
  2. 中山王府相卿伝職年譜 向祐等著写本
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