中頓別駅
中頓別駅(なかとんべつえき)は、北海道(宗谷支庁)枝幸郡中頓別町中頓別にかつて設置されていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)天北線の駅(廃駅)である。電報略号はナト。事務管理コードは▲121906[2]。
中頓別駅 | |
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なかとんべつ Naka-Tombetsu | |
所在地 | 北海道枝幸郡中頓別町字中頓別 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 天北線 |
キロ程 | 42.5 km(音威子府起点) |
電報略号 | ナト |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
開業年月日 | 1916年(大正5年)10月1日[1] |
廃止年月日 | 1989年(平成元年)5月1日[1] |
備考 |
天北線廃線に伴い廃駅 *キロ程は実キロ(営業キロは最後まで設定されなかった) |
歴史
- 1916年(大正5年)10月1日 - 鉄道院宗谷線の小頓別駅 - 当駅間延伸に伴い開業(一般駅)[3]。
- 1918年(大正7年)8月25日 - 宗谷線の当駅 - 浜頓別駅間延伸開通に伴い、中間駅となる[4]。
- 1919年(大正8年)10月20日 - 路線名を宗谷本線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1930年(昭和5年)4月1日 - 音威子府駅 - 稚内駅間を宗谷本線から削除し路線名を北見線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1934年(昭和9年)11月 - 駅舎改築[5]。
- 1949年(昭和24年)6月1日 - 公共企業体である日本国有鉄道に移管。
- 1961年(昭和36年)4月1日 - 路線名を天北線に改称、それに伴い同線の駅となる[4]。
- 1975年(昭和50年)12月10日 - 駅舎改築[5]。
- 1984年(昭和59年)2月1日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[1]。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる[1]。
- 1989年(平成元年)5月1日 - 天北線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1][4]。
- 1990年(平成2年)11月 - 駅跡地に、天北線メモリアルパークが完成[6]。
駅構造
廃止時点で、単式ホーム2面2線を有する地上駅であった。ホームが千鳥式に配置された、列車交換可能な交換駅であった[9]。互いのホームは、駅舎側ホーム北側と対向ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した[9]。駅舎側ホーム(西側)が下り線、対向ホーム(東側)が上り線となっていた[9]。貨物用の側線などは撤去されていたが、下り線の浜頓別方から駅舎側に分岐た元貨物側線の留置線が、保線車両(モーターカー)用に残されていた。1983年(昭和58年)時点では駅舎の対向側の単式ホームは島式ホームであり(両側とも乗降可能)[9]、上り線から分岐しその島式ホーム外側への側線を1線と、そこから南稚内方に分岐する行き止まりの側線を1線有していた[9]。
職員配置駅となっており、駅舎は構内の西側に位置し両ホームとは通路及び構内踏切で連絡した。1975年(昭和50年)に中頓別町が国鉄利用債を購入して鉄筋コンクリート製に改築した駅舎で[9]、駅舎に当時のローカル線では珍しい水洗式のトイレを有していた[9]。
利用状況
- 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は263人[9]。
乗車人員推移[10] | |
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年度 | 1日平均人数 |
1921 | 232 |
1935 | 114 |
1953 | 317 |
1965 | 485 |
1970 | 430 |
1980 | 263 |
駅周辺
- 北海道道399号中頓別停車場線
- 北海道道120号美深中頓別線
- 国道275号(頓別国道)
- 中頓別町役場
- 枝幸警察署中頓別駐在所
- 中頓別郵便局
- 中頓別中学校
- 中頓別小学校
- 稚内信用金庫中頓別支店
- 中頓別町農業協同組合(JA中頓別町)
- 中頓別鍾乳洞 - 駅から約4km。北海道天然記念物[9]。
- 頓別川[11]
- 知駒岳 - 駅の西[12]。標高532m。オホーツク海、日本海が眺望できる[9]。知駒中継局が存在する。
- 寿公園 - 敷地内に9600形蒸気機関車49648号機が静態保存・展示されている[13]。1975年(昭和50年)5月には宗谷本線のSLさよなら列車を、重連の先頭機として牽引した車両で[14]、バスターミナル2階の鉄道記念館に写真パネルが展示されている[15]。
駅跡
駅舎は解体され[15]、旧駅構内は1990年(平成2年)11月に中頓別町により整備され木造の中頓別町バスターミナルビルを核とする天北線メモリアルパークが完成した[6]。
宗谷バスが窓口を設置し、元は天北線代替バスであった天北宗谷岬線と都市間バスが乗り入れる。
またバスターミナル2階には鉄道記念館が開設され、閉塞器、保線用具、備品、「さよなら記念グッズ」などが保存・展示されている[16]。駅前広場は「天北線メモリアルパーク」として、キハ22形キハ22 208が静態保存・展示されている。車両は細谷建設が取得した後に中頓別町に寄贈されたものである[17]。また修復された腕木式信号機も設置されている。キハ22 208はゲートボール利用者の休憩室としても使用されており[16]、現役時代とは異なる派手な青に塗色されている[18][19]。2010年(平成22年)時点でも同様で[20]、2014年(平成26年)4月時点でも同様であった[18]。
保存車両の塗色は青色に変更されているが、屋外展示のため風化しており、国鉄カラーに塗り直す計画がある[17]。
脚注
- 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』(初版)JTB、1998年10月1日、905頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、240頁。doi:10.11501/1873236 。2023年2月11日閲覧。
- 内閣印刷局, ed (1916-09-27). “鉄道院告示 第46号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1248) .
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、14-17頁。
- 「中頓別駅が落成」『交通新聞』交通協力会、1975年12月12日、1面。
- 「公園全面完成 駅周辺が一変 中頓別」. 北海道新聞 (北海道新聞社). (1990年11月30日)
- 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、84頁。NDLJP:1029473。
- 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、186頁。ASIN B000J9RBUY。
- 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)188ページより。
- 中頓別町史 平成9年5月発行 P397/8,855,858
- 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)17ページより。
- 『北海道道路地図 改訂版』16ページより。
- 書籍『蒸気機関車完全名鑑 ビジュアル改訂版』(廣済堂ベストムック、2011年1月発行)39ページより。
- 書籍『写真で見る北海道の鉄道(下)』(編:北海道新聞社、北海道新聞社、2002年12月発行)67ページより。
- 書籍『北海道の鉄道廃線跡』(著:本久公洋、北海道新聞社、2011年9月発行)244-247ページより。
- 書籍『全国保存鉄道III 東日本編』(監修:白川淳、JTBパブリッシング、1998年11月発行)45ページより。
- 天北線列車、懐かしの国鉄カラーに 屋外展示で風化、中頓別の有志修復へ(北海道新聞、2021年5月28日)2021年5月28日閲覧
- “JR天北線廃止25年 住民の足 面影今も”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2014年4月28日)
- 書籍『鉄道廃線跡を歩くIV』(JTBパブリッシング、1997年12月発行)24-25ページより。
- 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)17ページより。