中電前停留場
中電前停留場(ちゅうでんまえていりゅうじょう、中電前電停)は、広島市中区小町にある広島電鉄宇品線の路面電車停留場である。駅番号はU3。停留場名は中国電力本社の最寄りであることに由来する[2]。
中電前停留場 | |
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ホーム | |
ちゅうでんまえ Chuden-mae | |
所在地 | 広島市中区小町 |
駅番号 | ●U3 |
所属事業者 | 広島電鉄 |
所属路線 | ■宇品線 |
キロ程 | 0.8 km(紙屋町起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
3,350[1]人/日 -2019年- |
開業年月日 | 1912年(大正元年)11月23日 |
広島港方面発の電車では、この停留場が「平和記念公園入口」とアナウンスされている。
歴史
当停留場は宇品線が1912年(大正元年)に開通したのに合わせて開設された[3]。開設当時の停留場名は西塔橋停留場(せいとうばしていりゅうじょう)であり[4]、これはかつて当地を流れていた西塔川(西堂川)に架かっていた西塔橋(西堂橋)の名に由来する[5]。また開設当時の停留場は白神社の南、現在の平和大通りとの交差点付近に置かれていたが、これもかつて西塔橋が架かっていた場所とおおむね対応する[6]。停留場名はその後1919年(大正8年)ごろに白神前停留場(しらかみまえていりゅうじょう)へと改められた[3]。
1945年(昭和20年)8月6日には原爆投下により宇品線をはじめとして広島電鉄の市内線は全線不通となるが、当停留場を含む宇品線の紙屋町 - 電鉄前間は同年9月に復旧を果たした[3]。またこの年以降には白神社前停留場(しらかみしゃまえていりゅうじょう)に改称している[4]。戦後、停留場の位置は次第に南へ遷移し、まず平和大通りが開通すると大通りの南へ、次いで1971年(昭和46年)にはそこからさらに60メートル南へ移され、現在の位置となった[5]。このとき、合わせて停留場名が中電前停留場に改称されている[5]。
構造
宇品線はほぼ全区間で道路上に軌道が敷かれた併用軌道であり、当停留場も道路上にホームが設置されている。ホームは低床式で上下2面あり、南北方向に伸びる2本の線路を挟み込むように向かい合って配置された相対式ホームである[2][8]。線路の東側に広島港方面へ向かう下りホーム、西側に紙屋町・本線方面へ向かう上りホームがある[2][8]。ふだんは無人駅であるが[2]、ひろしまフラワーフェスティバル開催時には整理員が配置される。
ホームには屋根が全長にわたって取り付けられている。1977年(昭和52年)からは電車の接近を知らせる表示器が設置された[9]。
脚注
- “広島県 駅乗降客数”. 2021年3月11日閲覧。
- 川島令三『山陽・山陰ライン 全線・全駅・全配線』 第7巻 広島エリア、講談社〈【図説】 日本の鉄道〉、2012年、10,79頁。ISBN 978-4-06-295157-9。
- 『広電が走る街 今昔』150-157頁
- 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 11 中国四国、新潮社、2009年、37頁。ISBN 978-4-10-790029-6。
- 『広電が走る街 今昔』71-72頁
- 『広電が走る街 今昔』71頁では、開業時の西塔橋停留場の位置を「現在の平和大通りの中心ほどの位置」、西塔橋が架かっていた場所を「現在の平和大通りの中心辺りに近い位置と考えられる」とする。
- 『広島電鉄開業100年・創立70年史』49頁
- 川島令三『全国鉄道事情大研究』 中国篇 2、草思社、2009年、103,109頁。ISBN 978-4-7942-1711-0。
- 『広島電鉄開業100年・創立70年史』438頁
参考文献
- 長船友則『広電が走る街 今昔』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 4-533-05986-4。
- 『広島電鉄開業100年・創立70年史』広島電鉄、2012年。
関連項目
外部リンク
- 中電前 | 電車情報:電停ガイド - 広島電鉄