上名 (いちき串木野市)

上名(かんみょう)は、鹿児島県いちき串木野市大字。旧日置郡串木野郷上名村、日置郡串木野村大字上名、日置郡串木野町大字上名串木野市上名郵便番号は896-0052。

上名
串木野インターチェンジ
北緯31度43分12.81秒 東経130度16分50.4秒
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 いちき串木野市
地域 串木野地域
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
896-0052
市外局番 0996
運輸局住所コード 46519-0104[1]

地理

いちき串木野市の中部、五反田川の中流域に位置している。字域の北方にはいちき串木野市薩摩山河内、南方には袴田日出町、南方から東方にかけては生福、西方には三井浜ケ城にそれぞれ隣接している。

字域の西部を南九州西回り自動車道が南北に通っており、字域内には串木野インターチェンジが設置されている。また、串木野ICでいちき串木野市街と薩摩川内市の樋脇地域を結んでいる鹿児島県道39号串木野樋脇線と接続しており、北部をほぼ東西に日置広域農道が通っている。

河川

  • 五反田川
  • 金山川

歴史

成立から町村制施行まで

上名という地名は江戸期より見え、薩摩国日置郡串木野郷(外城)のうちであった。上名という地名は「三国名勝図会」や享保10年の名寄帳に「串木野村上名」という記述があるのが初見であると考えられている。村高は「旧高旧領」では2,876石余であった[2]

1881年(明治14年)までは現在の大字冠嶽の区域も上名村に含まれていたが、上名村の一部より分割され冠嶽村(現在の大字冠嶽)となった[2]

町村制施行以後

1889年(明治22年)に町村制が施行されたのに伴い、江戸期の串木野郷の区域から串木野村が成立し、江戸期の上名村の区域は串木野村の大字「上名」(1935年の町制施行、1950年の市制施行の際も同様)となった[2]1999年平成11年)に下名字東高畑、字中高畑、字西高畑の各一部を上名字東高畑に編入し、上名字西高畑及び東高畑の各一部が下名字中高畑の一部となった[3]

2005年(平成17年)に串木野市が市来町と対等合併し、いちき串木野市が成立。いちき串木野市の大字「上名」となった。

2011年平成23年)10月11日には上名の一部から浜ケ城三井金山下が設置され、一部が日出町に編入され[4]2012年平成24年)10月9日には上名の一部より、河内(かわうち)、袴田(はかまだ)、生福(せいふく)の3町が設置され、一部が金山、海瀬、薩摩山、日出町に編入された[5]

人口の変遷

統計年次〔年〕 世帯数〔世帯〕 総人口〔人〕 出典
1881年(明治14年) 859 3,811 [6]
1976年(昭和51年) 916 3,194 [2]

字域の変遷

実施後 実施年 実施前
上名字東高畑の一部 1999年平成11年) 下名字東高畑、中高畑及び西高畑の各一部
下名字中高畑の一部 上名字西高畑及び東高畑の各一部
浜ケ城 2011年平成23年) 新開、針原沖、宇都良、釜牟田の一部、迫の一部[4]
日出町の一部 釜牟田の一部、迫、豆打[4]
三井 瘤下[4]
金山下 臼木ケ段[4]
河内 2012年平成24年) 大字上名の一部
袴田
生福
金山の一部
海瀬の一部
薩摩山の一部
日出町の一部

施設

寺社
  • 南方神社
  • 伊多神社
  • 南方神社
  • 善光院

小・中学校の学区

市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである。

大字番地等小学校中学校
上名一部いちき串木野市立串木野小学校いちき串木野市立串木野中学校
上名一部いちき串木野市立生福小学校いちき串木野市立生冠中学校

交通

道路

高規格幹線道路
県道
広域農道

脚注

  1. 自動車登録関係コード検索システム”. 国土交通省. 2021年4月26日閲覧。
  2. 『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店 p.212
  3. 平成10年鹿児島県告示第580号(字の区域の変更、平成10年4月22日付鹿児島県公報第1348号の2所収)
  4. 実施地区の状況(旧新対照表) (PDF) - 2011年10月10日閲覧。
  5. 町名変更早見表 - いちき串木野市 2012年9月9日閲覧。
  6. 『鹿児島県地誌 下』 - 1976年 鹿児島県資料刊行委員会

関連項目

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