上原直彦
人物・経歴
那覇市垣花出身[1]。石川高等学校卒業後、琉球新報社入社。社会部勤務時代に1959年の宮森小学校米軍機墜落事故を森口豁とともに取材[2]。同年琉球放送に移籍、当初3か月は報道部、その後はラジオ制作部。1961年から始まった「民謡で今日拝なびら」にプロデューサーとしてかかわり、のちにパーソナリティに。ラジオ局制作部専門職部長、ラジオ局次長を経て、役員待遇ラジオ局専任局長を最後に1998年退職後も現在に至るまでパーソナリティを続けている。元部下に宮城麻里子等がいる。民謡をはじめとする沖縄の芸能文化に造詣が深く、1960年代から70年代にかけて竹中労とともに嘉手苅林昌らの沖縄民謡を本土に紹介した。放送以外にも文化イベントや作詞、舞台脚本執筆などで活躍。北村三郎芝居塾「ばん」で“名誉教授”も務める。また、3月4日を「さんしんの日」とするよう提唱した。別名義に坂田英世、上原直衛[3]。
主な受賞歴
出演
映画
- 夏の妹(1972年、大島渚監督)
- ホテル・ハイビスカス(2002年、中江裕司監督)
ラジオ番組
※すべて琉球放送(RBC)ラジオ。
現在も出演中
- 「民謡で今日拝なびら」(月-金曜 16:00 - 17:00、現在は木曜の電話出演のみ)
- 特別番組「ゆかる日 まさる日 さんしんの日」(毎年3月4日 11:45 - 21:00)
過去
- 「上原直彦の語やびら島うた」
- 「ふるさとの古典」(日曜 6:00 - 7:00)
- 「芸能バラエティーふるさとバンザイ」(不定期の特別番組)
ほか多数
エピソード
- 「沖縄県 琉球民謡歴史家 上原直彦様」とだけ記された封書でも本人宛に配達されたという逸話もある。[5]
著書
脚注
- 『琉歌百景 綾なす言葉たち』(ISBN 9784899821830)作者紹介より
- 森口豁の沖縄日記 2009年6月30日(火)語り継ぐ「宮森」
- 週刊 上原直彦 2003年10月30日
- 放送人の会 放送人グランプリ
- 小林真樹子アナのブログより「何がすごいって…」
- 書誌詳細|国立国会図書館サーチ
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