ヴィス島

ヴィス島 (ヴィスとう、クロアチア語Vis, ギリシャ語Issaイタリア語及びドイツ語Lissa)は、アドリア海に浮かぶクロアチア領の島。スプリト=ダルマチア郡に属する。クロアチア本土から最も遠く離れた島である。面積は90.26平方キロメートル[1]、人口3,617人(2001年調査[2])。島内で最も標高が高いのはフム(Hum)で、587メートルである[1]

ヴィス島の位置
島内のブドウ畑

島には2つの町と、小さな自治体がある。中心の町ヴィス(Vis、人口1,960人[3])、コミジャ(Komiža、1,677人[4])は、どちらも海岸部にある。内部の小さな居住地はポドセリェ(Podselje)、マリニェ・ゼムリェ(Marinje zemlje)、ポドシピリェ(Podšpilje)、そしてポドストラジェ(Podstražje)である[5]。ヴィス島及び周辺の島々は2019年にユネスコ世界ジオパークに指定される[6]

歴史

ヴィス島には新石器時代から人が定住していた。紀元前4世紀、シラクサ僭主老ディオニシウスが島に植民地イッサ(Issa)を建設した。のち、イッサは独立した都市国家となり、独自の通貨と他所への植民地を持つまでになった。紀元前1世紀、島はイリュリア人の一つリブルニア人(en:Liburnians)に占有された。

東ローマ帝国時代にはダルマチアの一部となり、925年にクロアチアの君主トミスラヴが、当時イエス(Ies)と呼ばれた島の支配権を引き継いだ。クレシミル1世(Krešimir I)が死んだ後、継承戦争が勃発し、セルビア公チャスラヴ・クロニミロヴィッチ(Časlav Klonimirović)配下のパガニア人(南ダルマチア地方に定住していたスラヴ人の一つ)が948年に島を手に入れた。しかし、パガニア人が支配できた期間は短期に終わり、東ローマ人らが支配権を回復した。セルビアの支配者ステファン・ネマニャと弟のストラチミルは、1184年と1185年の2回にわたってヴィス島に攻め込んだ。

中世に入ると支配者がたびたび入れ替わり、ヴェロ・セロ(Velo Selo)という主要な定住地をつくったヴェネツィア共和国の支配下に、長く置かれた。ヴェネツィア時代、そしてオーストリア帝国に支配された間、島の名前はリッサ(Lissa)であった。

後になって、海岸部の定住地が人口を増していった(現在の町ヴィス)。行政上ヴィス島は数世紀の間、フヴァル島とひとくくりの自治体となっていた。

ヴィス島北部の海に面した地は、2度の戦闘の舞台となった。

  • 1811年3月13日 - ウィリアム・ホスト指揮のイギリス海軍小艦隊が、より大型のフランス=ヴェネツィア連合艦隊を破った(リッサ海戦 (1811年))。
  • 1866年7月20日 - テゲトフ提督指揮のオーストリア帝国艦隊が、ペルサノ提督指揮のイタリア艦隊を攻撃し、戦艦レディタリア(Re d'Italia)を撃沈した(リッサ海戦)。

第二次世界大戦中、ヴィス島はユーゴスラビア抵抗運動の指導者ヨシップ・ブロズ・ティトーの潜伏する場所の一つであった(ユーゴスラビア人民解放反ファシスト会議#第2回会合を参照)。戦後、ユーゴスラビア人民軍は島を主要海軍基地の一つにした。クロアチア独立後、海軍施設のほとんどを再利用せず、多くの打ち捨てられた建物は公共の目的で利用されている。

経済

島の主要産業は農業(ブドウ栽培が主)、漁業、水産品加工業、観光である[1]

島の耕地のおよそ2割はブドウ畑が占める。土地原産のワイン用ブドウ種が島内で栽培される[7]

ヴィス島周囲の海は魚の種類が豊富で、特に青魚(イワシサバアンチョビ)が水揚げされる。17世紀のコミツァ漁民は、Falkušaという地元伝来の漁船を発達させ、20世紀半ばまで用いていた[7]

参照

  1. (クロアチア語) First Croatian online peljar
  2. Statistical yearbook for 2006 of Central bureau of statistics of Republic of Croatia
  3. (クロアチア語) Article at site dedicated to Vis and Komiža
  4. (クロアチア語) Article at official Komiža site Archived 2008年9月15日, at the Wayback Machine.
  5. General information on Vis Archived 2008年9月29日, at the Wayback Machine.
  6. VIS ARCHIPELAGO UNESCO GLOBAL GEOPARK (Croatia) (英語). UNESCO (2021年7月27日). 2022年10月21日閲覧。
  7. Economy of Vis Archived 2007年6月7日, at the Wayback Machine.

外部リンク

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