レノン=マッカートニー

レノン=マッカートニー英語: Lennon-McCartney)は、ビートルズジョン・レノンポール・マッカートニーが作詞・作曲した楽曲に用いた共同名義。1962年から1970年にかけて二人は約180曲を共同で発表、そのほとんどはビートルズによって録音され、彼らの活動期間中に公式に発表された全213曲中144曲(全体の約68%)を占めている[注釈 1]

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ポール・マッカートニー(左)とジョン・レノン(右)(1964年撮影)

ビートルズの全世界におけるアナログ・レコード、カセット、CD、ダウンロード、ストリーミングなどの売上総数は2012年現在、6億枚を超えているが[1]、カバー曲を除くそのほとんどの楽曲を作曲したレノン=マッカートニーは音楽史上最も有名で最も成功した音楽コラボレーションである[2]

解説

レノン=マッカートニー名義は、ビートルズが1962年10月にデビューして以降、レノンが1969年9月に行われたアップル本社での会議でグループ脱退を宣言[注釈 2]したことによって実質的にパートナーシップが解消されるまでにレコーディングされた、二人の共作、またはどちらか一人が単独で作詞・作曲を行った楽曲に使用された[注釈 3]

ただしこれには僅かながら例外が存在する。いずれもマッカートニーが単独で制作したピーター&ゴードンの「ウーマン」、クリス・バーバー・バンドの「キャット・コール」、カルロス・メンデスの「ペニーナ」、バッドフィンガーの「 マジック・クリスチャンのテーマ」の4曲と映画『ふたりだけの窓』のサウンドトラックは、単独名義でクレジットされている。

これに対して、レノンはこの期間中に単独名義で楽曲の制作を行ったことはなかった。オノ・ヨーコと共同で制作しプラスティック・オノ・バンド名義で発表した「平和を我等に」でさえもレノン=マッカートニー名義で発表した[注釈 4]。このことについて、レノンは生前「なぜポールの名前が出ているのか、僕にも分からないくらいだよ。ポールの名前が出ているのは、別にシングルを出したことと - 最初の物だけどね - ビートルズから本気で離れようとしていたことで、僕がちょっと後ろめたく思っていたからなんだ。」と語っている[5][注釈 5]。また、マッカートニーが「ジョンとヨーコのバラード」の録音を手伝ってくれたことへの謝礼に贈ったものとする説もある[7]

レノンとマッカートニーは、独立した作詞家と作曲家で構成される多くの作曲パートナーシップ、例えばアイラジョージ・ガーシュウィンオスカー・ハマースタインリチャード・ロジャースバーニー・トーピンエルトン・ジョンなどとは異なり、両者が作詞と作曲を担当した。特に初期の頃は、レノンの言葉を借りれば「目と目を合わせて」曲作りをすることもあったという[8][注釈 6]

それぞれの楽曲における二人の貢献度の割合は、作詞・作曲の過程によって大きく異なっている。初期のシングル曲「フロム・ミー・トゥ・ユー」、「シー・ラヴズ・ユー」、「抱きしめたい」)は完全な共作曲であるが、多くの場合、一方が作った曲またはアイデアや曲の断片をもう一方が改良したり仕上げたりなどを行っていた[注釈 7]。場合によっては、複数の未完成曲やそれぞれが個別に取り組んでいた曲のアイデアを組み合わせて1つの曲として完成させることもあり、お互いに何らかの意見を得ずに曲を完成させることはまれであった。この楽曲制作方法は、競争心と相互インスピレーション、そして音楽的アイデアの直接的なコラボレーションと創造的な融合の要素を持っており、ビートルズの革新性と成功した主な理由としてしばしば引用されている[9]。時間が経つにつれて次第にどちらかがほとんど作った曲になり、しばしばパートナーはいくつかの言葉や代替コードを提供するのみとなっていった[注釈 8]

基本的にはリード・ボーカル、または主旋律を歌っている方が主に作詞・作曲を行っていることが多い。但し、レノンが主に作った「 ア・ハード・デイズ・ナイト 」のように、ブリッジの部分がレノンには高すぎたために、メンバーで一番高い声が出せるマッカートニーに歌わせるなどの例外も一部存在する[11]。また、ジョージ・ハリスン [注釈 9]リンゴ・スター [注釈 10]がリード・ボーカルをとっている曲があるが、レノンとマッカートニーのどちらが主として作ったのかは曲によって異なっている。

レノン=マッカートニー名義は、ビートルズのイギリスでのデビューシングル「ラヴ・ミー・ドゥP.S.アイ・ラヴ・ユー」で初めて使用された。ところが、セカンドシングル「プリーズ・プリーズ・ミーアスク・ミー・ホワイ」、ファーストアルバム『 プリーズ・プリーズ・ミー』、サードシングル「フロム・ミー・トゥ・ユーサンキュー・ガール」では、一時的に「マッカートニー=レノン」とクレジットされた[12]。4枚目のシングル「シー・ラヴズ・ユーアイル・ゲット・ユー」では元に戻り、これ以降ビートルズの公式シングルやアルバムではすべて「レノン=マッカートニー」とクレジットされるようになった[注釈 11][注釈 12]

1976年、マッカートニーのバンド、ウイングスがリリースしたライブ・アルバムウイングス・オーヴァー・アメリカ』では、ビートルズの5曲(「レディ・マドンナ」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「夢の人」「ブラックバード」「イエスタデイ」)の作曲クレジットが「マッカートニー=レノン」とされた。このことについて当時レノンと妻のオノ・ヨーコは異を唱えなかった[14]。しかし、レノンの死後、マッカートニーの2002年のライブ・アルバム『バック・イン・ザ・U.S. -ライブ2002』のライナー・ノーツでもビートルズの曲全てで「マッカートニー=レノン」のクレジットが使われるに至り[15]、オノは提訴を検討していると報道された[13]。これに対してマッカートニーは自分とレノンが過去に、どちらかが望むなら今後のリリースでクレジットを逆にしていいと合意していたと主張した[16]。結局2003年にマッカートニーは譲歩し、「私は今のままで満足しているし、これまでもそうだった。レノン=マッカートニーは今でも私が誇りに思うロックンロールの商標であり、常にそうであるべきだ」と語った[17]

著作権の管理

2020年現在、レノン=マッカートニー名義の楽曲の著作権管理は以下の通り行われている。

脚注

注釈

  1. ブライアン・エプスタインがプロデュースした他のグループ(ザ・フォーモストアップルジャックスなど)や、ブライアンの死後にアップル・コアからデビューしたピーター&ゴードンメリー・ホプキンなどのアーティストにレノンとマッカートニーが曲を提供した際にもレノン=マッカートニーとクレジットされた。これらの曲は、1979年コンピレーション・アルバムThe Songs Lennon and McCartney Gave Away』としてEMIからリリースされた。一部の曲はビートルズとしても演奏・録音されており、『ザ・ビートルズ・ライヴ!! アット・ザ・BBC』や『ザ・ビートルズ・アンソロジー』に収録されている。また、デビュー前にはデッカでのオーディションにおいて「ハロー・リトル・ガール」(のちにザ・フォーモストに提供)、「ライク・ドリーマーズ・ドゥ」(後にジ・アップルジャックスに提供)、「ラヴ・オブ・ザ・ラヴド」(後にシラ・ブラックに提供)の3曲が録音された。
  2. このことはレコード会社との契約更新に悪影響があることを恐れたアラン・クレインの説得で秘密にされていた。
  3. レノンは「ポールとぼくは、15の時に取り決めをつくったんだよ。法律的なものじゃないんだけれども、協力して曲を書こうって決めたとき、それが何であっても、ふたりの名前で出すことにするって取り決めをね」と語っている[3]
  4. レノンの死後1997年にリリースされたコンピレーション・アルバム『レノン・レジェンド〜ザ・ヴェリー・ベスト・オブ・ジョン・レノン』以降はレノンのみのクレジットとして表示されている[4]。現在、著作権登録もジョン・ウィンストン・レノン単独になっている。
  5. クレジットをヨーコにしなかったことについては「罪」だったと語っている[6]
  6. ローリング・ストーンズミック・ジャガーキース・リチャーズはレノン=マッカートニー作の「アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」をストーンズが2人から提供してもらったのがきっかけでジャガー/リチャーズの共同名義を使っている。こちらのコンセプトもレノン=マッカートニーとほぼ同じだが、ミックが作詞、キースが作曲をしている場合が多い。
  7. 一方が曲を作った場合のケースでは、具体例として「ミッシェル」の場合、マッカートニーが「こういう曲を作ってみたんだけど、どうも何かが足りないんだ」とレノンに相談した。すると「サビ部分をコーラスにしてみたらどうだい?」と助言されて曲が完成した。結局、この部分が同曲の中で最も印象的なフレーズになった。
  8. ビートルズ後期の曲で二人が実質的に参加している曲の例としては「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が有名で、マッカートニーの別の曲の断片("Woke up, fell out of bed, dragged a comb across my head ...")が、レノンの曲(I read the news today, oh boy ...")を肉付けするために使われた。また「ヘイ・ジュード」もマッカートニーの後期の曲で、レノンから影響を受けた例である。 マッカートニーはレノンにこの曲を披露していた時、"the movement you need is on your shoulder "という歌詞に行き着いたが無意味だと感じたため、より良い歌詞を思いついたらすぐに変更すると断言した。しかしレノンは曲の中で最も強い歌詞の一つであると言い、その行を残すよう助言した。[10]
  9. ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット」「すてきなダンス」の2曲。
  10. アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」「消えた恋」(「Lennon-McCartney-Starkey」名義)「イエロー・サブマリン」「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」「グッド・ナイト」の5曲。
  11. 「アルファベットでは、LがMの前に来る」「口に出した時の語感の良さ」「レノンの方が年上」などの理由により、貢献度とは関係なく、レノンの名前を先に入れることになった[13]
  12. アメリカではフルネーム表記が主流で、"John Lennon - Paul McCartney"や"John Lennon & Paul McCartney"、またはファーストネームのみをイニシャルにした"J. Lennon - P. McCartney"などと表記されていた。
  13. 「平和を我らに」も含む[18]

出典

  1. Hotten, Russell (4 October 2012). "From Fab Four to fabulously rich". BBC News (英語). BBC. 2019年1月31日閲覧
  2. “Beatles' remastered box set, video game out”. CNNMoney.com. (2009年9月9日). https://money.cnn.com/2009/09/04/news/companies/beatles_video_game/ 2011年12月1日閲覧。
  3. PLAYBOY編集部 1981, p. 112.
  4. Lennon Legend (The Very Best Of John Lennon). Parlophone – 7243 8 21954 2 9, 1997, liner notes
  5. PLAYBOY編集部 1981, p. 111-112.
  6. Lennon 2002, p. 20.
  7. MacDonald 2005, p. 358.
  8. Sheff 2000, p. 137.
  9. Coleman 1992, p. 363-364.
  10. The Beatles Anthology documentary
  11. Sheff 2000, p. 175.
  12. Lewisohn 1988, p. 23,32.
  13. NOW!”. 2009年10月23日閲覧。
  14. The Ballad of Paul and Yoko (2003年1月27日). 2020年10月30日閲覧。
  15. Lister, David (2002年12月28日). “Let it be, Sir Paul (as someone or other once said)”. The Independent (London). https://www.independent.co.uk/opinion/columnists/david-lister/let-it-be-sir-paul-as-someone-or-other-once-said-612138.html
  16. Bilmes, Alex (2015年2月7日). Paul McCartney Is Esquire's August Cover Star”. Esquire. 2020年10月30日閲覧。
  17. “McCartney makes up with Ono”. BBC News. (2003年6月1日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/music/2953620.stm
  18. Ono 2020, p. 122.

参考文献

  • PLAYBOY編集部 (1981). ジョン・レノン PLAYBOY インタビュー. 集英社
  • Lewisohn, Mark (1988). The Beatles Recording Sessions. New York: Harmony Books. ISBN 0-517-57066-1
  • Coleman, Ray (1992). Lennon. New York: HarperCollins. ISBN 0-06-098608-5
  • Sheff, David (2000). All We Are Saying: The Last Major Interview with John Lennon and Yoko Ono. St. Martin's Press. ISBN 0-312-25464-4
  • Lennon, John 森田義信訳 (2002). 空に書く~ジョン・レノン自伝&作品集. 筑摩書房. ISBN 4-480-87336-8
  • MacDonald, Ian (2005). Revolution in the Head (2nd revised ed.). Pimlico. ISBN 978-1-84413-828-9
  • Ono, Yoko (2020). Gimme Some Truth. The Ultimate Remixes. Book. Universal Music Group/Calderstone Productions

外部リンク

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