ヨーゼフ・ヴュルムヘラー

ヨーゼフ・"ゼップ"・ヴュルムヘラーJosef "Sepp" Wurmheller1917年5月4日 - 1944年6月22日)は、ドイツ空軍軍人少佐第二次世界大戦で102機を撃墜したエース・パイロットであり、その戦功から柏葉・剣付騎士鉄十字章を追贈された。

ヨーゼフ・ヴュルムヘラー
Josef Wurmheller
渾名 ゼップ(Sepp)
生誕 1917年5月4日
ドイツ帝国
プロイセン王国の旗 プロイセン王国
バイエルン州
ミースバッハ郡
ミースバッハ
ハウスハム
死没 (1944-06-22) 1944年6月22日(27歳没)
フランスの旗 フランス
アランソン付近
所属組織 ドイツ空軍
軍歴 1937年 - 1944年
最終階級 少佐

前半生

1917年5月4日ドイツ帝国バイエルン王国ハウスハムで生まれた。シュリールゼーにある叔父の農場で育った後、父親と同じく鉱夫として4年間働いた。彼は若い頃、熱狂的なグライダーパイロットで、1937年ドイツ空軍に入隊した。戦闘機パイロットとしての訓練修了後、1939年伍長の階級で第53戦闘飛行隊(JG 53)第2飛行中隊に配属された[1][注釈 1]

第二次世界大戦

9月1日ドイツ軍ポーランドを侵攻第二次世界大戦が始まった。9月30日、大戦初期のまやかし戦争の期間中にJG 53第I飛行隊の部隊は、ザールブリュッケン付近で英国空軍(RAF)第150飛行隊のフェアリー バトル5機による編隊に遭遇した[1]。ヴュルムヘラーはフェアリー バトル K9283を撃墜し、初戦果を記録した。この機体にはメッツァンからザールブリュッケンまでの航空偵察任務中のウィリアム・マクドナルド空軍少佐が搭乗しており、エキュリー=シュル=クールに不時着した[2][3][4]。この戦功により10月19日二級鉄十字章を受章。11月、ヴェルヌヘンの戦闘機パイロット学校の教官となった[1]

バトル・オブ・ブリテンと東部戦線

1940年6月、バトル・オブ・ブリテンに間に合うようにJG 53第5飛行中隊に戻った。彼はこの戦いの間、戦闘機と戦闘爆撃機のパイロットとして戦闘任務を務めた。9月28日スピットファイアを撃墜し、2機撃墜を記録。10月16日ブリストル ブレニムを撃墜。5機撃墜でエース・パイロットとなり、一級鉄十字章を受章した。ヴュルムヘラーはRAFの戦闘機によって3回撃墜されており、毎回ベイルアウトをしている。3回目は、11月23日午後5時10分ごろで、イギリス海峡上空で搭乗するメッサーシュミット Bf109 E-4(製造番号 5242)を撃墜され、不時着水した。彼はドイツ海軍Sボートによって救助されるまで、4時間半もの間泳がなければならなかった[5]1941年3月まで入院し、戦闘任務に戻ると5月7日にスピットファイア2機を撃墜し、10機撃墜を達成した[1]

その後ヴュルムヘラーの部隊は、6月22日に始まったバルバロッサ作戦の準備のために、東部戦線に転戦した。バルバロッサ作戦の期間中、ヴュルムヘラーは南方軍集団に配属された。この作戦戦域で8機のSBと1機のポリカルポフ I-16を撃墜。7月15日、東部戦線での最後の撃墜となる19機目を撃墜した[1]

西部戦線

第2戦闘航空団のエンブレム

7月20日西部戦線に転戦し、第2戦闘航空団(JG 2)第II飛行隊の参謀に任命された。7月24日、20機撃墜を達成し、8月中にはスピットファイアを10機撃墜した[1]

8月30日空軍名誉杯を授与され、9月4日には31機撃墜の功により騎士鉄十字章を受章した。ヴュルムヘラーの古巣の部隊であるJG 53第5飛行中隊は騎士鉄十字章に彼を推薦していたが、JG 2に配属されるまで承認されなかった[1]。同日、第II飛行隊の同僚のパイロットのクルト・ビューリゲン(112機撃墜)も騎士鉄十字章を受章している[6]

軽傷を負った後、再びヴェルヌヘンの戦闘機パイロット学校の教官となった。1942年5月、最前線に戻ると第1飛行中隊に配属され、5月に10機、6月に11機のスピットファイアを撃墜した。この中には、5月31日に撃墜した4機と、6月5日に撃墜した4機が含まれている[7]。これらの任務のほとんどは、ルドルフ・プランツェが僚機だった[8]

8月19日ディエップの戦いでヴュルムヘラーは最も戦果を挙げた。この日、連合軍はドイツ占領下のディエップの攻撃に失敗した。右足にギプスをはめたヴュルムヘラーは、4回の戦闘任務の間にスピットファイア6機とブリストル・ブレニム1機(おそらく誤認されたA-30)を撃墜し、「1日で規定の記録を達成したエース・パイロット(ace in a day)」 の称号を受ける[7][9]。最初の任務はエンジントラブルのために中止しなければならず、不時着した際に軽い脳震盪を起こした。2回目の任務でスピットファイア2機とブレニム1機を撃墜。3回目の任務でさらにスピットファイア3機を撃墜。 4回目の任務でスピットファイア1機を撃墜し、59機撃墜を記録。8月20日、60機撃墜を達成し、8月21日ドイツ十字章金章を受章した[7]

1942年10月1日少尉に昇進した。約150回の戦闘任務で67機撃墜を記録した後、11月14日柏葉付騎士鉄十字章を受章。ドイツ国防軍で146人目の受章者だった[7]

8月17日に第8爆撃軍団がルーアンのソットヴィルの操車場を攻撃し、アメリカ陸軍航空軍、特に第8空軍は定期的な戦闘を開始した。1943年1月3日B-17を4機撃墜。4月1日、第54戦闘航空団(JG 54)第III飛行隊に転属したジークフリート・シュネル大尉の後任で[10]、JG 2第9飛行中隊の中隊長に任命された[11]5月17日にB-17を撃墜し、70機撃墜を達成した[11]

9月23日ヴァンヌのミューコンを爆撃中にフォッケウルフ Fw190 A-6を不時着した際に、爆弾の破片で負傷した[12]。彼は仲間から「ゼップ」と名付けられ、8月1日中尉に昇進し、11月1日大尉に昇進した[11]1944年2月8日、ドイツ本土防空戦でル・トレポール付近で重爆撃機を初めて撃墜した。3月8日、90機撃墜を達成した[11]

飛行隊長と最期

6月6日、連合軍によるノルマンディー上陸作戦の後もさらに撃墜を続けた。6月8日カーン付近で戦死したヘルベルト・フッペルツ大尉の後任でJG 2第III飛行隊の飛行隊長に任命された。6月12日P-47を撃墜し、ドイツ空軍で80人目となる100機撃墜を達成[13]6月16日、生涯最後の撃墜となるP-51を撃墜した[11]

6月22日、フォッケウルフ Fw 190 A-8に搭乗していたヴュルムヘラーはアランソン付近でアメリカ陸軍航空軍のP-47とカナダ空軍のスピットファイアとの戦闘で僚機のクルト・フランツキーと空中衝突し戦死した[14]。享年27。10月24日柏葉・剣付騎士鉄十字章を追贈され、少佐に昇進した。

生涯戦績は出撃回数300回以上、撃墜数102機(西部戦線で93機、東部戦線で9機)だった。西部戦線での戦果の内、少なくとも18機が4発爆撃機であり、56機がスピットファイアである。

叙勲

注釈

  1. ドイツ空軍の部隊名称の説明は「第二次世界大戦中のドイツ空軍の編成」を参照。
  2. シャーザーによると第2戦闘航空団第5飛行中隊のパイロット[19]、フォン・シーメンによると第2戦闘航空団第III飛行隊のパイロットとして[20]
  3. シャーザーによると1942年11月14日。[19]
  4. フォン・シーメンによると第2戦闘航空団第III飛行隊の指導者として。[24]

参照

脚注

  1. Stockert 2012, p. 184.
  2. Air Pictorial 1989, vol. 51, p. 352.
  3. Shores, Foreman & Ehrengardt 1992, p. 73.
  4. Goodrum 2013, ch. 5 "Blitzed, Burned But Unbroken"
  5. Prien 1997, p. 201.
  6. Weal 2000, p. 80.
  7. Stockert 2012, p. 185.
  8. Obermaier 1986, p. 38.
  9. Weal 2000, p. 90.
  10. Weal 1996, p. 47.
  11. Stockert 2012, p. 186.
  12. Weal 2000, p. 102.
  13. Obermaier 1989, p. 244.
  14. Berger 2000, pp. 386, 387.
  15. Berger 1999, p. 386.
  16. Thomas 1998, p. 465.
  17. Patzwall & Scherzer 2001, p. 526.
  18. Fellgiebel 2000, p. 454.
  19. Scherzer 2007, p. 800.
  20. Von Seemen 1976, p. 367.
  21. Fellgiebel 2000, p. 63.
  22. Von Seemen 1976, p. 31.
  23. Fellgiebel 2000, p. 46.
  24. Von Seemen 1976, p. 18.

参考文献

  • Air Pictorial. 51. Air League of the British Empire. (1989). OCLC 5459255
  • Berger, Florian (1999) (German). Mit Eichenlaub und Schwertern. Die höchstdekorierten Soldaten des Zweiten Weltkrieges [With Oak Leaves and Swords. The Highest Decorated Soldiers of the Second World War]. Vienna, Austria: Selbstverlag Florian Berger. ISBN 978-3-9501307-0-6
  • Fellgiebel, Walther-Peer (2000) [1986] (German). Die Träger des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939–1945 — Die Inhaber der höchsten Auszeichnung des Zweiten Weltkrieges aller Wehrmachtteile [The Bearers of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939–1945 — The Owners of the Highest Award of the Second World War of all Wehrmacht Branches]. Friedberg, Germany: Podzun-Pallas. ISBN 978-3-7909-0284-6
  • Goodrum, Alastair (2013). They Spread Their Wings: Six Courageous Airmen in Combat in the Second World War. Stroud, Gloucestershire: History Press. ISBN 978-0-7524-9217-9
  • Obermaier, Ernst (1989) (German). Die Ritterkreuzträger der Luftwaffe Jagdflieger 1939 – 1945 [The Knight's Cross Bearers of the Luftwaffe Fighter Force 1939 – 1945]. Mainz, Germany: Verlag Dieter Hoffmann. ISBN 978-3-87341-065-7
  • Patzwall, Klaus D.; Scherzer, Veit (2001) (German). Das Deutsche Kreuz 1941 – 1945 Geschichte und Inhaber Band II [The German Cross 1941 – 1945 History and Recipients Volume 2]. Norderstedt, Germany: Verlag Klaus D. Patzwall. ISBN 978-3-931533-45-8
  • Prien, Jochen (1997). Jagdgeschwader 53 A History of the "Pik As" Geschwader March 1937 – May 1942. Atglen, Pennsylvania: Schiffer Military History. ISBN 978-0-7643-0175-9
  • Scherzer, Veit (2007) (German). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 Die Inhaber des Ritterkreuzes des Eisernen Kreuzes 1939 von Heer, Luftwaffe, Kriegsmarine, Waffen-SS, Volkssturm sowie mit Deutschland verbündeter Streitkräfte nach den Unterlagen des Bundesarchives [The Knight's Cross Bearers 1939–1945 The Holders of the Knight's Cross of the Iron Cross 1939 by Army, Air Force, Navy, Waffen-SS, Volkssturm and Allied Forces with Germany According to the Documents of the Federal Archives]. Jena, Germany: Scherzers Militaer-Verlag. ISBN 978-3-938845-17-2
  • Shores, Christopher; Foreman, John; Ehrengardt, Chris (1992). Fledgling Eagles. London: Grub Street. ISBN 978-0-948817-42-7
  • Stockert, Peter (2012) [1997] (German). Die Eichenlaubträger 1939–1945 Band 2 [The Oak Leaves Bearers 1939–1945 Volume 2] (4th ed.). Bad Friedrichshall, Germany: Friedrichshaller Rundblick. ISBN 978-3-9802222-9-7
  • Thomas, Franz (1998) (German). Die Eichenlaubträger 1939–1945 Band 2: L–Z [The Oak Leaves Bearers 1939–1945 Volume 2: L–Z]. Osnabrück, Germany: Biblio-Verlag. ISBN 978-3-7648-2300-9
  • Von Seemen, Gerhard (1976) (German). Die Ritterkreuzträger 1939–1945 : die Ritterkreuzträger sämtlicher Wehrmachtteile, Brillanten-, Schwerter- und Eichenlaubträger in der Reihenfolge der Verleihung : Anhang mit Verleihungsbestimmungen und weiteren Angaben [The Knight's Cross Bearers 1939–1945 : The Knight's Cross Bearers of All the Armed Services, Diamonds, Swords and Oak Leaves Bearers in the Order of Presentation: Appendix with Further Information and Presentation Requirements]. Friedberg, Germany: Podzun-Verlag. ISBN 978-3-7909-0051-4
  • Weal, John (1996). Focke-Wulf Fw 190 Aces of the Western Front. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-85532-595-1
  • Weal, John (1999). Bf 109F/G/K Aces of the Western Front. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-85532-905-8
  • Weal, John (2000). Jagdgeschwader 2 'Richthofen'. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-84176-046-9
  • Weal, John (2011). Fw 190 Defence of the Reich Aces. Oxford, UK: Osprey Publishing. ISBN 978-1-84603-482-4
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.