メネリク1世
概要
古代イスラエル王ソロモンと、シバの女王の息子で、紀元前10世紀頃のエチオピアを統治したとされている。現エリトリアのハマシアンで誕生、エチオピアへ「契約の箱」を運んだ後に、エルサレムで父ソロモン王に面談した。
紀元前5世紀に興ったアクスム王国、13世紀に興ったエチオピア帝国のいずれの王もメネリク1世の直系の子孫を名乗り、その地位の正当性に利用した。
エチオピア帝国では、国家事業としてエチオピア版『古事記』ともいうべき『ケブラ・ナガスト』[1]を作らせた。上記はそのケプラ・ナガストの記述に基づく。もちろん伝説であり、史実として確定している訳ではない。旧約聖書に記されたシバの女王の出自については、エチオピア説とイエメン説があり、双方とも考古学的な裏付けが取れておらず、仮説に過ぎない。さらに旧約聖書には、ソロモン王とシバの女王の間に子供が生まれたという記述は無い。
最古の王家
メネリク1世を始祖とし、1974年のハイレ・セラシエ1世廃位に至るエチオピア帝国の王朝は、「ソロモン王朝」として、紀元前10世紀から3000年間存続した最古の王朝とされる。
ただし、あくまで伝説上であり、実際の歴史として確認できるエチオピア皇帝家は13世紀のイクノ・アムラクからである。エチオピア皇帝家は近代において断絶した時期があり、皇帝に実権が無く臣下が実権を握っていた時期もある。
参照
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