ホンダ・S360
S360(エスさんびゃくろくじゅう)は、本田技研工業が四輪車事業への進出をめざし発表した軽自動車規格のオープンスポーツカーである。S360は市販されず、後に排気量を増したエンジンを搭載したモデル[1]が市販された。名称はSports 360としているものが当時の資料には多いがS360としているものもある。当記事では市販された後発車種に合わせS360とする。
概要
ホンダの四輪乗用車への進出
四輪車事業への進出を目指したホンダは、後にT360となるトラック型モデルと共に、試作モデルXA190として2シーターオープンの開発を進めていた。(当時のホンダの四輪開発担当責任者は中村良夫[2]である。)
1961年(昭和36年)に通産省(当時)から自動車行政の基本方針(のちの特振法案)が示されると、本田宗一郎は通産省の事務次官佐橋滋に直談判を行い「自由競争こそ自動車産業を伸ばすものだ」と掛け合った。特振法案は1963年(昭和38年)3月に法案化されたものの、最終的に1964年(昭和39年)1月に廃案になったが、この時点でホンダは乗用車の市販実績を作る必要に迫られており、1962年(昭和37年)1月より本格的な四輪乗用車の市販に向けた計画を進める事となる。
1962年(昭和37年)6月5日、第11回全国ホンダ会総会の製品展示・試走会(ディーラー向けイベント)が、当時まだ建設途中の鈴鹿サーキットのお披露目も兼ねて開催された。この際、宗一郎本人が運転し、中村を助手席に乗せたS360が一般に公開された。
1962年(昭和37年)10月25日から13日間、東京・晴海の東京国際見本市会場で開催された第9回全日本自動車ショーにも出展された。この時の仕様は、パイプフレームにFRP製のボディと言われる。
軽自動車のスポーツカーとして市販が期待されたものの、結局S360は販売されず、ホンダ初の四輪スポーツモデルは後のS500を待つこととなる。
参考
- 八重洲出版「Honda 50years ホンダ50年史」1998年