フィラデルフィア (軽巡洋艦)
フィラデルフィア (USS Philadelphia, CL-41) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦。ブルックリン級軽巡洋艦の1隻。艦名はペンシルベニア州フィラデルフィアに因む。その名を持つ艦としては5隻目。
フィラデルフィア | |
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基本情報 | |
建造所 | ペンシルベニア州フィラデルフィア海軍工廠 |
運用者 | アメリカ海軍 |
級名 | ブルックリン級軽巡洋艦 |
艦歴 | |
発注 | 1933年6月16日 |
起工 | 1935年5月28日 |
進水 | 1936年11月17日 |
就役 | 1937年9月23日 |
退役 | 1947年2月3日 |
除籍 | 1951年1月9日 |
除籍後 | ブラジルに売却 |
要目 | |
排水量 | 9,700 トン |
全長 | 608.3 ft (185.4 m) |
最大幅 | 61.7 ft (18.8 m) |
吃水 | 19.4 ft (5.9 m) |
主缶 | 水管罐×8基 |
主機 | 蒸気タービン×4基 |
出力 | 100,000 hp (75,000 kW) |
推進器 | スクリュープロペラ×4軸推進 |
最大速力 | 32.5ノット (60.2 km/h) |
乗員 | 士官、兵員868名 |
兵装 |
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搭載機 | 水上機×4機 |
その他 | 船尾カタパルト×2基 |
艦歴
フィラデルフィアは1935年5月28日にペンシルベニア州フィラデルフィアのフィラデルフィア海軍工廠で起工した。1936年11月17日に州知事ジョージ・H・アールの夫人によって命名、進水し、1937年9月23日に艦長ジュールズ・ジェームズ大佐の指揮下就役した。
艤装が完了するとフィラデルフィアはメイン州沿岸で公試を行い、その後1938年1月3日にフィラデルフィア海軍工廠を出航し西インド諸島での整調に向かった。
フィラデルフィアはフィラデルフィア海軍工廠でオーバーホールを受け、西インド諸島で回復訓練を行った後1945年6月4日にバージニア州ノーフォークに帰還した。7月7日にベルギーのアントウェルペンに向けて出航し、トルーマン大統領とその一行が乗艦した重巡洋艦「オーガスタ」(USS Augusta, CA-31) の護衛任務に就く。一行の中にはジェームズ・バーンズ国務長官およびウィリアム・リーヒ元帥も含まれた。アントウェルペンには7月15日に到着し、大統領はオーガスタを下艦しポツダム会談に出席するため飛行機に乗った。会談の終了前にフィラデルフィアはプリマスに移動し、大統領の帰還に備えて待機した。
1945年8月2日、フィラデルフィアはイギリス国王ジョージ6世乗艦の栄誉を受ける。フィラデルフィアは同日出航し、8月7日にノーフォークに到着した。
9月6日、サウサンプトンに向けてナラガンセット湾を出航し、9月25日に元ドイツ客船オイローパの護衛として帰還した。ナラガンセット湾およびチェサピーク湾での活動後、1945年10月26日にフィラデルフィアに到着する。11月14日にはフランスのル・アーヴルに向けて出航し、同地で陸軍の帰還兵を乗せ11月29日にニューヨークに到着した。フィラデルフィアはその後も「魔法の絨毯」任務を継続し、ニューヨークを12月5日に出航、25日に帰還した。1946年1月9日に不活性化のためフィラデルフィア海軍工廠に到着した。
フィラデルフィアは1947年2月3日にフィラデルフィア海軍工廠で退役し、1951年1月9日に除籍された。その後相互防衛援助計画の下ブラジル政府に売却された。ブラジル海軍ではバホーゾ (Barroso, C-11) の艦名で就役し、1973年に廃棄された。
フィラデルフィアは第二次世界大戦の戦功で5個の従軍星章を受章した。
外部リンク
- Pictures of USS Philadelphia
- USS Philadelphia Tribute - Photos,Articles,Documents
- この記事はアメリカ合衆国政府の著作物であるDictionary of American Naval Fighting Shipsに由来する文章を含んでいます。