パーネル・ウィテカー
パーネル・"スイートピー"・ウィテカー(Pernell Whitaker、1964年1月2日 - 2019年7月14日)は、アフリカ系アメリカ人の男性元プロボクサー。バージニア州ノーフォーク出身。元WBA・WBC・IBF統一世界ライト級王者。その後、スーパーライト級、ウェルター級、スーパーウェルター級でタイトルを獲得した元世界4階級制覇王者。
基本情報 | |
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通称 | Sweet Pea (スイートピー) |
階級 |
ライト級 スーパーライト級 ウェルター級 スーパーウェルター級 |
身長 | 168cm |
リーチ | 175cm |
国籍 | アメリカ合衆国 |
誕生日 | 1964年1月2日 |
出身地 | バージニア州ノーフォーク |
死没日 | 2019年7月14日(55歳没) |
死没地 | バージニア州バージニアビーチ |
スタイル | サウスポー |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 46 |
勝ち | 40 |
KO勝ち | 17 |
敗け | 4 |
引き分け | 1 |
獲得メダル | ||
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アメリカ合衆国 | ||
男子 ボクシング | ||
オリンピック | ||
金 | 1984 ロサンゼルス | ライト級 |
世界ボクシング選手権 | ||
銀 | 1982 ミュンヘン | ライト級 |
パンアメリカン大会 | ||
金 | 1983 カラカス | ライト級 |
ニックネームの「Sweet Pea(スイートピー)」について、ウィテカーは若いころ「Pete(ピート)」の愛称で親しまれており、アマチュアの試合で地元に凱旋したとき応援団が「Sweet Pete」と応援したのを地元記者が誤って地元紙に「Sweet Pea」と記載してしまったものが定着した。
来歴
アマチュアボクシングでは、1982年のAIBA世界ボクシング選手権で銀メダル、1984年のロサンゼルスオリンピックでは金メダルを獲得し、通算戦績は214戦201勝(91RSC)13敗。
1984年11月15日、プロデビュー戦で2回TKO勝ち。
1987年3月28日、NABF北米ライト級王座獲得。7月25日には初防衛に成功すると同時に全米同級王座も獲得した。
1988年3月12日、世界初挑戦。WBC世界ライト級王者ホセ・ルイス・ラミレス(メキシコ)に挑むが、12回判定で敗れ王座奪取ならず。
1989年2月18日、世界再挑戦。IBF世界ライト級王者グレグ・ホーゲン(米国)に挑み、12回判定勝ち。18戦目で最初の世界王座を獲得。
1989年8月20日、2度目の防衛戦。前年の初挑戦で敗れたラミレスと再戦し、12回判定勝ち。この試合はWBC世界ライト級王座決定戦も兼ねて行われたため、IBF王座防衛成功と同時にWBC王座獲得も果たした。
1990年8月11日、WBA世界ライト級王者ファン・ナサリオ(プエルトリコ)と統一戦を行い、初回KO勝ち。WBC・IBF王座防衛(WBCは3度目、IBFは5度目)を果たすと同時にWBA王座も獲得。主要3団体世界王座統一を成し遂げた。その後、3度の防衛に成功し、1992年4月、3団体の王座を同時に返上。
1992年7月18日、ジュニアウェルター級(現・スーパーライト級)での世界挑戦。IBF世界同級王者ラファエル・ピネダ(米国)に挑み、12回判定勝ち。2階級制覇に成功する。この王座は1度も防衛することなく返上。
1993年3月6日、3階級制覇を懸け、WBC世界ウェルター級王者ジェームス・マクガード(米国)に挑戦。12回判定勝ちを収め、偉業達成となった。
1993年9月10日の初防衛戦では87戦全勝のフリオ・セサール・チャベス(メキシコ)とウェルター級の規定体重を2ポンド下回る145ポンドのキャッチウェイトで対戦。フルラウンドの死闘の末、優位に試合を進めながら1-0の判定引き分けでWBC世界ウェルター級王座防衛。
3度防衛後の1995年3月4日、王座在位のままWBA世界ジュニアミドル級(現・スーパーウェルター級)王者フリオ・セサール・バスケス(アルゼンチン)に挑戦。1度ダウンを奪われたものの、終始優位に試合を進め、12回判定勝ち。4階級制覇を成し遂げた。その後、WBA王座は返上し、以降はWBC世界ウェルター級王座の防衛回数を8まで伸ばした。
1997年7月14日、9度目の防衛戦でWBC世界ジュニアウェルター級王者オスカー・デ・ラ・ホーヤ(米国)と対戦し、12回判定負け。世界王座から陥落。
1997年10月17日、アンドレイ・ペストリャエフと対戦。12回判定勝利を収めるが、試合後ドーピング検査でコカインが検出され試合結果がノーコンテストに変更となる[1]。
1998年、アイク・クォーティと試合が決まっていたが、ウェテカーが検査で再びコカインが検出されキャンセルされる[1]。
1999年2月20日、世界王座返り咲きを期し、IBF世界ウェルター級王者フェリックス・トリニダード(プエルトリコ)に挑戦するも、12回判定負けで返り咲きならず。
2001年4月27日、2年ぶりの再起戦では自身初となる4回TKO負け。この試合を最後に引退した。
2001年8月12日、スピード違反と無免許運転で逮捕され拘置所で2日過ごした、その際に警官が車内を調査したところコカインを発見、2500ドルの保釈金を支払い保釈された。その後、ウィテカーはコカイン所持していたことを認めている[2]。
引退から7年後の2008年、世界ボクシング殿堂の選手部門で殿堂入りが決定し、11月15日にロサンゼルスのマリオットホテルにて殿堂入りのセレモニーが行われた。
脚注
- “WHITAKER LEAVES HOSPITAL”. NYTimes.com (2001年5月2日). 2013年6月10日閲覧。
- “Pernell Whitaker charged with cocaine possession”. SecondsOut.com. 2013年6月10日閲覧。
- “元4階級制覇王者が死去 08年ボクシング殿堂入り”. 日刊スポーツ. (2019年7月16日) 2019年7月16日閲覧。
関連項目
外部リンク
- パーネル・ウィテカーの戦績 - BoxRec(英語)
前王者 グレグ・ホーゲン |
IBF世界ライト級王者 1989年2月18日 - 1992年4月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 フレディ・ペンデルトン |
前王者 フリオ・セサール・チャベス |
WBC世界ライト級王者 1989年10月29日 - 1992年4月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ミゲル・アンヘル・ゴンザレス |
前王者 ファン・ナサリオ |
WBA世界ライト級王者 1990年8月11日 - 1992年4月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 ジョーイ・ガマチェ |
前王者 ラファエル・ピネダ |
IBF世界スーパーライト級王者 1992年7月18日 - 1993年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 チャールズ・マーレー |
前王者 バディ・マクガート |
WBC世界ウェルター級王者 1993年3月6日 - 1997年4月14日 |
次王者 オスカー・デ・ラ・ホーヤ |
前王者 フリオ・セサール・バスケス |
WBA世界スーパーウェルター級王者 1995年3月4日 - 1995年(返上) |
空位 次タイトル獲得者 カール・ダニエルズ |