ネバダ核実験場

ネバダ核実験場Nevada Test Site)は、アメリカ合衆国エネルギー省が管理している核実験場。アメリカ合衆国ネバダ州のネバダ砂漠にあり、ラスベガスの北西約105kmの地点である。2010年8月に正式名称は Nevada National Security Site (ネバダ国家安全保障施設)に変更されている[1]。かつては大気圏核実験、地下核実験が行われていたが、現在は臨界前核実験が行われている。

ネバダ核実験場
地下核実験により生じた陥没が多数見られる
ネバダ核実験場で1953年に行われたアップショット・ノットホール作戦でのW9核砲弾を使用したグレイブル実験。M65 280mmカノン砲で発射。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。

概要

1951年1月11日に、核実験の実験場として開設された。面積は約3,500平方キロメートル(日本の鳥取県全域に相当)あるが、ほとんどは砂漠と山岳地帯である。当地における初めての実験は1951年1月27日のことであり、1ktの核爆弾が投下されている。

1951年から1992年にかけて、928回の核実験が行われたことが公表されている。うち、828回は地下核実験である。アメリカが行った核実験のほとんどは当地で行われており、ここ以外の核実験は126回で主に太平洋核実験場マーシャル諸島で実施された。大気圏内核実験は、部分的核実験禁止条約以前の1962年まで行われていた。地下核実験も包括的核実験禁止条約以前の1992年まで行われていた。

ネバダ核実験場での100回の大気圏内核実験によって発生・拡散したヨウ素131の甲状腺への蓄積を示す

著名な実験としては1963年に行われたストラックス作戦があげられる。平和的核爆発の研究を目的としたこのセダン核実験においては、威力104ktの核爆弾が使用された。実験により、直径390m深さ100mの陥没口「セダン・クレーター」が形成された。

また、1951年から1957年に掛けて実施されたデザート・ロック演習では、実際の核戦争下におけるアメリカ陸軍アメリカ海兵隊などの地上兵力の作戦行動を検証するため、地上部隊が展開して軍事演習を行っている場所の近傍で核実験が行われた。特に1957年のプラムボブ作戦は核爆発の回数と作戦期間の両面で米国史上最大・最長の核実験でもあった。一方、デザート・ロック演習の実施を把握したソビエト連邦は、1954年にオレンブルク州トツコエソビエト連邦陸軍を展開して軍事演習を行っている場所の近傍で核実験を行うトツコエ核演習を実施して、これに対抗した。

1970年初頭、アメリカ原子力委員会は実験場の土がプルトニウムで汚染されていることを発表、また、同年11月には周辺の砂漠からもプルトニウムが検出されたことを発表した。なお、委員会は発表に際し、このことが「人々の健康に影響を及ぼすことは無い」とした[2]

実験場の周囲において、大気圏内核実験により生成されたヨウ素131などの放射性同位体は広範囲に分散し、甲状腺ガンの増加をもたらしていると指摘する研究者もいるが、明確な因果関係は証明されていない。

脚注

  1. 米が臨界前核実験 9月15日 オバマ政権で初 - 中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター(2010年10月13日)
  2. ネバダ 核実験場外も汚染 56キロ先でプルトニウム『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月5日 12版 23面

関連項目

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