アトミック・ソルジャー
アトミックソルジャー(Atomic Soldier)とは、1945年~1960年代にかけて核実験演習に参加し、キノコ雲への突撃行為等によって放射線に被爆した兵士たちのこと。兵士たちには線量を測るフィルムバッジが付けられたが、被爆したアルファ線のみが測定された。また、兵士たちは事前に筆記テストを通じて、放射線の影響は取るに足らないものであると学習させられていた[1]。
南太平洋エニウェトク島での水爆実験では、まとまった人数の兵士たちが動員されていた。水爆実験は年に数回、明け方に行われたが、兵士たちは整列した上で爆発に背を向け目を覆って立ち会わされた[2]。
世界各国のアトミック・ソルジャー
アメリカ合衆国のみならず、イギリス、フランス、旧ソビエト連邦、中華人民共和国においても、残留放射能の残る核実験場で軍事演習や除染作業を行い、多数の兵士を被爆させて医学的データ等を採取した過去がある。
旧ソビエトでは1954年9月14日に南ウラル・チカロフスク州のトツコエで4万5千もの兵を動員した演習(Totskoye nuclear test)も行われている。この実験は核爆発直後に敵味方役に分かれた兵士たちが戦闘演習を行い、実戦で戦闘が可能かを確かめるために行われた[3]。この実験では多くの兵士が放射線障害の症状を訴えたとされるが、兵たちは秘密厳守を誓わされたうえ、記録が廃棄されたため実態は不明となっている[4]。
脚注
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