ニューポート (ニューハンプシャー州)

ニューポート: Newport)は、アメリカ合衆国ニューハンプシャー州サリバン郡の町であり、同郡の郡庁所在地である[1]。州都コンコードから西北西に43マイル (69 km) の位置にある。2010年国勢調査では、人口6,507 人だった[2]。町の北西部には屋根付橋がある。メイプルシュガーやリンゴ園があることで知られている。

ニューポート
Newport, New Hampshire
ニューポートのメインストリート、1906年
ニューポートのメインストリート、1906年
ニューハンプシャー州におけるサリバン郡(左図)と、同郡におけるニューポート町の位置
ニューハンプシャー州におけるサリバン郡(左図)と、同郡におけるニューポート町の位置
北緯43度21分55秒 西経72度10分24秒
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ニューハンプシャー州の旗 ニューハンプシャー州
サリバン郡
法人化 1761年
政府
  町マネジャー ポール・J・ブラウン
面積
  合計 43.7 mi2 (113.1 km2)
  陸地 43.6 mi2 (112.8 km2)
  水域 0.1 mi2 (0.2 km2)  0.18%
標高
814 ft (248 m)
人口
2010年
  合計 6,507人
  密度 150人/mi2 (58人/km2)
等時帯 UTC-5 (東部標準時)
  夏時間 UTC-4 (東部夏時間)
郵便番号
03773
市外局番 603
FIPS code 33-52580
GNIS feature ID 0873684
ウェブサイト www.newportnh.net

町の中心部には2010年国勢調査で4769人が住み、国勢調査指定地域に指定され、シュガー川に接し、ニューハンプシャー州道10号線と同11号線が交差している。町内にはケリービルとギルドのビレッジも含まれている。

歴史

ニューポートとなった地域は1753年、ニューハンプシャー植民地総督ベニング・ウェントワースが払下げ、イギリスの首相大ピットの義兄弟であるジョージ・グレンヴィルにちなんでグレンビルと名付けられた。しかし、チャールズタウンの第4砦が近く、フレンチ・インディアン戦争の敵対関係が続いていたので、開拓は遅れた。それでも1761年にはニューポートとして法人化された。この名前は傑出したイギリス軍人かつ政治家だったヘンリー・ニューポートにちなむものだった。

1763年に最初に入植したのはコネチカットのノースキリングワースから移ってきた開拓者だった。アブサロム・ケルシーがその初期開拓者の1人だった。ケルシーが森を切り払う第一打はニューポートのクレアモントヒルの麓にあるD・F・パイク農園がある所だった[3]。当時、コネチカット川が唯一の交通路だったが、1767年にはチャールズタウンまで道路が切り開かれた。翌年、最初の製粉所が設立された。しかし、州政府は山脈の向こうにあり、その待遇に不満を抱いたニューポートは、1781年にコネチカット川沿いの他の33の町と合流して、ニューハンプシャー州から脱退し、バーモント州に加わった。しかし1782年、ジョージ・ワシントンがバーモントとの統合を解除し、再度ニューハンプシャー州に加わることになった[4]

ニューポートの地域は農業に適した肥沃な土壌があり、シュガー川やその南支流の豊富な水力もあったので、工場を動かして繁栄するようになった。最初の綿糸工場は1813年にジェイムズ・D・ウォルコット大佐が設立した。キャビネット工場が栄え、素晴らしい家具を製造した。1817年、エリー運河に触発された事業家が、コネチカット川とメリマック川を繋ぐ運河の掘削を提案した。この運河はシュガー川に始まり、その水源としてスナピー湖を貯水池に使うことになっていた。この計画は始める前に放棄された。1871年シュガー川鉄道がブラッドフォードからニューポートまで開通した。

しかし、工業開発の中心として川が再編された。1820年、クレアモント、スナピーおよびニューポートの工場所有者が合同でスナピー・ダム会社を結成し、シュガー川の流量を規制するダムを建造し、乾季でも工場を操業できるようにした。この計画はうまくいき、流域では120以上の水車が稼働することになった。人口が2,020人になっていた1859年、町には毛織物工場3か所、革なめし場2か所があった[4]。1842年に設立されたシブリー・サイス社は、サイス(大鎌)を製造し、パナマ運河の建設時にジャングルを払うために使われた。同社は1898年に閉鎖された。

この工場町には、エリアス・カーターが設計し1823年に建設された南会衆派教会、1886年に建設されたニューポート・オペラハウス、1898年にセス・メイソン・リチャーズ大佐の家として建設された現在のリチャーズ自由図書館など重要な建築物がある。

地理

ライツ屋根付き橋

アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、町域全面積は43.7平方マイル (113 km2)であり、このうち陸地43.6平方マイル (113 km2)、水域は0.1平方マイル (0.26 km2)で水域率は0.18% である。ニューポート町の中央部分、国勢調査指定地域とされている部分は10.9平方マイル (28 km2) ある。

町内はシュガー川とその南支流が流れ、町の中心で合流している。北支流はニューポートの北、ノースニューポートの東でシュガー川に合流している。町内最高地点は標高約1,920フィート (590 m) の無名の稜線であり、町の南側境にある。

町内をニューハンプシャー州道10号線、同11号線、同103号線が通っている。町内にパーリン・フィールド空港がある。

人口動態

北メインストリート、1914年
ボストン・アンド・メイン鉄道の駅、1907年

ニューポートには、1900年に3,126人、1910年に3,765人、1940年に5,304人が住んでいた。 以下は2000年国勢調査による人口統計データである[5]

基礎データ

  • 人口: 6,269 人
  • 世帯数: 2,473 世帯
  • 家族数: 1,656 家族
  • 人口密度: 55.6人/km2(143.9 人/mi2
  • 住居数: 2,633 軒
  • 住居密度: 23.3 軒/km2(60.4 軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 26.5%
  • 18-24歳: 7.1%
  • 25-44歳: 29.2%
  • 45-64歳: 21.8%
  • 65歳以上: 15.3%
  • 年齢の中央値: 37歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 97.0
    • 18歳以上: 88.3

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 31.9%
  • 結婚・同居している夫婦: 51.1%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 10.4%
  • 非家族世帯: 33.0%
  • 単身世帯: 25.7%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 12.2%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.49人
    • 家族: 2.95人

収入

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 37,442米ドル
    • 家族: 45,508米ドル
    • 性別
      • 男性: 31,807米ドル
      • 女性: 22,788米ドル
  • 人口1人あたり収入: 16,964米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 14.4%
    • 対家族数: 10.8%
    • 18歳未満: 19.3%
    • 65歳以上: 10.0%

町の中心

南会衆派教会、1910年頃

以下は町の中心(国勢調査指定地域)のみについて、2000年国勢調査による人口統計データである[6]

基礎データ

  • 人口: 4,008 人
  • 世帯数: 1,581 世帯
  • 家族数: 1,019 家族
  • 人口密度: 141.6人/km2(366.5 人/mi2
  • 住居数: 1,676 軒
  • 住居密度: 59.2 軒/km2(153.3 軒/mi2

人種別人口構成

年齢別人口構成

  • 18歳未満: 27.0%
  • 18-24歳: 7.7%
  • 25-44歳: 29.8%
  • 45-64歳: 20.1%
  • 65歳以上: 15.3%
  • 年齢の中央値: 36歳
  • 性比(女性100人あたり男性の人口)
    • 総人口: 93.7
    • 18歳以上: 84.7

世帯と家族(対世帯数)

  • 18歳未満の子供がいる: 31.8%
  • 結婚・同居している夫婦: 48.1%
  • 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 10.8%
  • 非家族世帯: 35.5%
  • 単身世帯: 27.8%
  • 65歳以上の老人1人暮らし: 13.5%
  • 平均構成人数
    • 世帯: 2.47人
    • 家族: 3.00人

収入

収入と家計

  • 収入の中央値
    • 世帯: 35,788米ドル
    • 家族: 44,453米ドル
    • 性別
      • 男性: 31,676米ドル
      • 女性: 22,146米ドル
  • 人口1人あたり収入: 16,389米ドル
  • 貧困線以下
    • 対人口: 16.1%
    • 対家族数: 10.7%
    • 18歳未満: 20.6%
    • 65歳以上: 12.9%

著名な出身者

脚注

  1. Find a County”. National Association of Counties. 2011年6月7日閲覧。
  2. United States Census Bureau, American FactFinder, 2010 Census figures. Retrieved March 23, 2011.
  3. Kelsey Genealogy Vol II. Clinton, CT: Kelsey Kindred of America. (1929). p. 58
  4. Coolidge, Austin J.; John B. Mansfield (1859). A History and Description of New England. Boston, Massachusetts. pp. 602–603. https://books.google.co.jp/books?id=OcoMAAAAYAAJ&lpg=PA9&dq=coolidge+mansfield+history+description+new+england+1859&pg=PA602&redir_esc=y&hl=ja#v=onepage&q&f=false
  5. American FactFinder”. United States Census Bureau. 2008年1月31日閲覧。
  6. Profile of General Population and Housing Characteristics: 2010 Demographic Profile Data (DP-1): Lancaster CDP, New Hampshire”. U.S. Census Bureau, American Factfinder. 2013年3月12日閲覧。

参考文献

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.