スティーブ・リトル (アメリカンフットボール)

スティーブ・リトル1956年2月19日-1999年9月6日)は、イリノイ州スプリングフィールド出身のアメリカンフットボール選手。NFLセントルイス・カージナルスでプレーした。ポジションはプレースキッカーパンター

 スティーブ・リトル
Steve Little
基本情報
ポジション プレースキッカー
パンター
生年月日 (1956-02-19) 1956年2月19日
没年月日 (1999-09-06) 1999年9月6日(43歳没)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州スプリングフィールド
身長: 6' 0" =約182.9cm
体重: 180 lb =約81.6kg
経歴
大学 アーカンソー大学
NFLドラフト 1978年 / 1巡目全体15位
初出場年 1978年
初出場チーム セントルイス・カージナルス
所属歴
NFL 通算成績
通算得点 80点
FG成功 13回/27回(48.1%)
PAT成功 41回/51回(94.6%)
パント 125回
平均 38.5ヤード
Player stats at NFL.com
Player stats at PFR

1977年のテキサス大学戦でカレッジフットボール記録となる67ヤードFGを成功している[1]

NFLドラフト史上3番目に早く指名されたキッカーである。彼より早く指名されたのは、1966年にワシントン・レッドスキンズが指名したプリンストン大学チャーリー・ゴゴラック1979年ニューオーリンズ・セインツが指名したラッセル・アークスレーベン[2]だけである。

経歴

カンザス州オーバーランドパークの高校ではクォーターバックディフェンシブバックを務めた。アーカンソー大学フランク・ブロイルズヘッドコーチからリクルーティングされた彼は、当初ジョー・ファーガソンの後釜として期待されたが、キック能力に着目され、キッカーとなり、QBには高校時代のチームメート、ロン・カルカーニが起用された。

1975年シーズン、チームはカルカーニ、RBベン・コーウィンズ、リトルらの活躍でコットンボウルジョージア大学を破った。またルー・ホルツヘッドコーチに率いられた1977年シーズン、チームはオレンジボウルオクラホマ大学を破った。この試合でローランド・セイルズはオレンジボウル記録となる205ヤードを走るとともに(後に1998年にアーマン・グリーンが206ヤードを走ってこの記録を更新する)、ダン・ハンプトンらディフェンスがオクラホマ大学のラン攻撃を抑えた。この2試合でリトルはボウルゲームにおける大学タイ記録となる4回のPATを成功している[3]

1976年、1977年にオールアメリカンに選ばれた[3]

大学4年間でリトルはFG89回中53回成功、50ヤード以上のFGを13回中7回成功、PAT131回中121回成功[3]、280得点をあげた。

カレッジフットボールでの活躍により、1978年NFLドラフトで彼はセントルイス・カージナルスに1巡全体15位で指名された[4]

1年目の1978年にはパントで平均38ヤード、2年目の1979年にはFG19回中10回成功、パントで平均38.2ヤードの成績を残した[3]

3シーズン通算でのFG成功率は、48.1%と期待はずれに終わった。

1970年代終わりから1980年代初めにかけての他のアスリート同様、フィールド外でアルコール中毒コカインなどによりトラブルを起こした彼は、1980年、開幕から6試合に出場した後、ニール・オドノヒューにポジションを奪われ10月16日に解雇された[3]。解雇されたその夜自動車事故頸髄損傷の重傷を負った彼は、1999年アーカンソー州リトルロックホスピスで43歳で息を引き取った[5]

彼はアーカンソー大学の20世紀オールチーム、大学の偉大なフットボール選手の11位に選ばれている[1]

脚注

  1. No. 11 Greatest Razorback of All Time: Steve Little”. todaysthv.com (2008年6月2日). 2013年1月26日閲覧。
  2. リトルが記録を出した時(10月15日)のテキサス大のキッカーで 2 週前(10月1日)に同じく 67ヤードを成功させている。
  3. star Steve Little dies at 43”. ネバダ・デイリーメール (1999年9月7日). 2013年1月26日閲覧。
  4. The Highest Drafted Kickers In NFL History”. iqfb.com. 2013年1月26日閲覧。
  5. Aaron Schafer (2009年1月28日). The Ghosts of St. Louis Football, Part 2”. riverfronttimes.com. 2013年1月26日閲覧。

外部リンク

先代
スティーブ・ピサルキウィッツ
セントルイス・カージナルス
ドラフト1巡指名
1978年
次代
ケン・グリーン
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