スティーブ・コリカ

ステファン・クリストファー・コリカ(Stephen Christopher Corica、1973年3月24日 - )は、オーストラリアクイーンズランド州イニスフェイル出身の元サッカー選手MF)、指導者。元オーストラリア代表

スティーブ・コリカ
名前
愛称 ビンビ
ラテン文字 Steve CORICA
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
生年月日 (1973-03-24) 1973年3月24日(50歳)
出身地 イニスフェイル
身長 174cm
体重 71kg
選手情報
ポジション MF
利き足 右足
ユース
オーストラリアの旗イニスフェイル・ユナイテッド
オーストラリアの旗オーストラリア国立スポーツ研究所
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1995 オーストラリアの旗マルコーニ・スタリオンズFC 103 (14)
1995-1996 イングランドの旗レスター・シティFC 16 (2)
1996-2000 イングランドの旗ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC 100 (5)
2000-2001 日本の旗サンフレッチェ広島 43 (14)
2002-2004 イングランドの旗ウォルソールFC 73 (9)
2005-2010 オーストラリアの旗シドニーFC 106 (23)
通算 441 (67)
代表歴
1989 オーストラリアの旗 オーストラリア U-17 2 (1)
1990-1991 オーストラリアの旗 オーストラリア U-20 6 (0)
1992-1996 オーストラリアの旗 オーストラリア U-23 7 (0)
1993-2006 オーストラリアの旗 オーストラリア 32 (5)
監督歴
2010-2011 オーストラリアの旗シドニーFCユースコーチ
2011-2018 オーストラリアの旗シドニーFCアシスタント
2012 オーストラリアの旗シドニーFC (暫定)
2018-0000 オーストラリアの旗シドニーFC
1. 国内リーグ戦に限る。2018年5月16日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

現在はシドニーFCの監督を務めている。

人物

現役時代は精度の高いパスと、正確に枠を捉えるシュート力・特にミドルシュートが得意な攻撃的MF[1]

マーク・ボスニッチポール・オコンジェリコ・カラッツネディエリコ・ゼリッチらと共に、オーストラリアにおける黄金世代と呼ばれた選手の一人。

来歴

現役時代

オーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)出身。オーストラリアン・ナショナルサッカーリーグマルコーニ・スタリオンズFCでデビュー[1]、1992/93シーズンには最優秀U-21選手に選ばれている。

代表では、U-17から年代別代表を経験し、1989 FIFA U-16世界選手権出場、1991 FIFAワールドユース選手権4位入賞。1992年にはエディ・トムソン率いるバルセロナオリンピックU-23代表に選ばれ4位入賞。1993年からA代表に招集され、1994年4月16日親善試合対クウェート戦で初キャップ[1]

1995年8月、イングランドへ渡りFLDiv 1(2部リーグ)レスター・シティに入団する[2]。レギュラーとして活躍するも同シーズンの試合中に足首に怪我を負う[2]。そのシーズン途中である1996年2月に移籍金150万ポンドウルヴァーハンプトン・ワンダラーズへ移籍する[2]。また同1996年にはアトランタオリンピックオーバーエイジとして出場している。1997年以降、2度前十字靭帯を損傷してしまい[3]、出場機会が減っていった。

2000年、トムソンおよびウルブズ時代のコーチ・マイケル・ヒックマンの紹介で、サンフレッチェ広島に加入、同年5月13日のヴェルディ川崎戦での決勝ゴールはJリーグ初ゴールとなった[4]。翌2001年、攻撃的サッカーを標榜としたヴァレリー・ニポムニシ監督のもとで、攻撃的MFとしてブレイク、11ゴールを決めて[4]久保竜彦大木勉藤本主税とともに、同年2ndステージにおいてサンフレッチェの躍進を支えた[5]。2002年、本人およびサンフレッチェとともに契約更新を望んだが、この年より監督に就任したガジ・ガジエフの評価は低いもので結局契約には至らなかった[6]

2001年、日韓で行われたFIFAコンフェデレーションズカップ2001の出場[1] 以降、A代表からはしばらく遠ざかることになる。

2002年2月、再びイングランドのクラブであるFLDiv 1(2部リーグ)のウォルソールFCへ移籍した[7]。ただチームは下位に低迷し2004年フットボールリーグ1(3部リーグ)に降格すると、同年9月新しく監督に就任したポール・マーソンにより構想外にされる[7]

2005年から、シドニーFCへ移籍すると10番をつけ、キャプテンとして活躍した[8]。同年にはリーグ優勝に貢献。また同年にはドワイト・ヨーク三浦知良と共に世界クラブ選手権出場のため来日した。2006年8月16日、AFCアジアカップ2007予選に久しぶりにA代表に招集されている。その後もシドニーFCで主力として活躍後、2010年怪我を理由に引退する[9]

指導者時代

2010年からシドニーFCのユースコーチに、2011年からヴィテズラフ・ラヴィチュカ監督のもとトップチームのアシスタントコーチに就任した[8]。2012年11月にはイアン・クルーク監督辞任を受けて、暫定でシドニーFC監督を務めた[10]

2018年5月16日、シドニーFCの監督に就任した。

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
1990-91シドニー・マルコーニNSL170--170
1991-92172--172
1992-93274--274
1993-94244--245
1994-95183--183
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
1995-96レスター・シティ2部1620020182
1995-96ウルヴァーハンプトン1700010180
1996-973624020422
1997-9810000010
1998-993121010332
1999-001511000161
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2000広島34J12132122256
20019221110212512
イングランド リーグ戦 FLカップFAカップ 期間通算
2001-02ウォルソール2部1330000133
2002-034143020464
2003-041922020232
2004-053部00000000
オーストラリア リーグ戦 リーグ杯FFA杯 期間通算
2005-06シドニーFC10Aリーグ215-42256
2006-07183-41224
2007-08204-30344
2008-09214-54268
2009-10236-00236
通算豪州Aリーグ 10323-16711930
豪州NSL 10313--10313
イングランド2部 1891611010021016
イングランド3部 00000000
日本J1 431431435018
総通算 43866141301048277
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
OFCOFC CLクラブW杯
2004-05シドニーFC105520
AFCACLクラブW杯
2006シドニーFC1064-

ギャラリー

脚注

  1. Golden Soft Sombrero Moment with Steve Corica”. fourdiegos (2010年9月). 2013年6月17日閲覧。
  2. Steve Corica”. foxeshistory.co.uk. 2013年6月17日閲覧。
  3. Corica strikes gold to give Francis the blues”. ガーディアン (1999年4月17日). 2013年6月17日閲覧。
  4. “コリカ”. data.j-league. https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=6255 2020年5月3日閲覧。
  5. 浸透ヴァレリー流 第2Sの軌跡”. 中国新聞 (2011年1月27日). 2001年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年6月17日閲覧。
  6. 中野和也『紫熊倶楽部』2003年1月。
  7. Steve Corica career over as he is ruled out of Sydney FC's finals campaign”. BBC (2004年9月8日). 2013年6月17日閲覧。
  8. Steve Corica”. オーストラリアサッカー連盟. 2013年6月17日閲覧。
  9. Corica leaves Walsall”. FOX (2010年2月16日). 2013年6月17日閲覧。
  10. Sydney FC coach quits citing pressure of job”. FOX (2012年11月11日). 2013年6月17日閲覧。

参考資料

関連項目

外部リンク

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