コンウィ

コンウィ: Conwy, [ˈkɒnwi], ウェールズ語: [ˈkɔnʊɨ] ( 音声ファイル), 英語の綴りはConwayとも)はウェールズ北部コンウィ・カウンティ・バラにあり、同名の川河口コミュニティ。旧市街は城壁に囲まれ、中世から集積地であった。多数の古建築が残る人気の観光地で、城壁は世界遺産の「グウィネドのエドワード王時代の城砦と城壁(Castles and Town Walls of King Edward in Gwynedd)の構成要素である。

コンウィ

コンウィの街並み
コンウィの位置(ウェールズ内)
コンウィ
コンウィ
ウェールズにおけるコンウィの位置
人口14,723人 (2011年国勢調査)
英式座標
SH775775
コミュニティ
  • コンウィ
プリンシパル・エリア
セレモニアル・カウンティ
構成国ウェールズの旗 ウェールズ
イギリスの旗 イギリス
郵便地域CONWY
郵便番号LL31、 LL32
市外局番01492
救急医療ウェルシュ
欧州議会ウェールズ
英国議会
ウェールズ議会

概要

13世紀、ウェールズ遠征の拠点としてイングランド王エドワード1世コンウィ城を築いた。

川の対岸にデガンウィ(英語)をのぞむこの町は、その昔、グウィネズの一部で、さらに時代をさかのぼるとカーナーヴォンシャーに属していた。2011年国勢調査によると、観光地として人気がある地域人口はデガンウィとランディドノウ(en)と合算して1万4753人[1]。カウンティ・バラの人口は推定11万6200人(2015年6月30日時点[2])、コンウィに限定すると住民は4065人である(2011年国勢調査[3])。

町の名前「コンウィ」Conwy の由来は、古ウェールズ語cyn (長=おさ)と gwy (水、流れ)からなり、川も古名を「シンウィ」Cynwy といった[4][5][6][7]

歴史

「城と吊り橋」1890年–1900年頃

城砦都市

旧市街の眺め
城壁(en)から眺めた旧市街

コンウィ城と旧市街を取り巻く城壁はエドワード1世の命令を受け、王がウェールズの貴族(en)征服に乗り出した1283年から1289年頃に築かれた[8]。城壁が完成すると、14世紀にその内側にまず最初に教会群が建った。それ以前からの建造物は城壁の東南側に残る壁と塔の遺構で、大サウェリンとその孫息子の末代公サウェリンの宮殿・宮城(llys)があったと考えられる。岩の斜面に立ち付属の塔にアプスがある点、ウェールズ独得の4つ窓をほどこしてある点を見ると、イングランド人が建てた城壁と容易に識別できる。建造時期は13世紀初頭に始まり、大サウェリンが手がけた御殿(llysoedd)として最も特徴を残している。

城壁に囲まれた旧市街生まれの人には「ジャックドー」Jackdaws というあだ名がある。城壁に巣をかけるカラスの仲間がいるからで、2011年に解散するまでコンウィ旧市街に「ジャックドーの会」という親睦組織があった[9][10]

コンウィには1841年時点で1358人が暮らしていた[11]

吊り橋

コンウィの景観をなす吊り橋トーマス・テルフォードの設計により、橋の支柱は城のタレットとデザインをそろえてある。城のすぐ横に橋を架けた1826年以前は、コンウィ川の両岸を渡し船が結んで人貨を運んでいた[12]。現在、橋は歩行者専用で、橋守りの宿舎とともにナショナル・トラストが管理する。

鉄道橋

コンウィ鉄道橋(en)は筒状の橋で設計はロバート・スティーブンソン(en)が手がけ、チェスター・ホリヘッド鉄道(en)が走った。最初の筒型構造は1848年に架かり、まもなく第2号が1849年に完成する[13]。現在も北ウェールズ海岸線(en)が利用し、旧市街にある(英語)に発着する。市内外をつなぐ近代的な橋は数基あり、自動車道55号線(A55(英語)が川を横切る地下トンネルは、イギリスで最古のチューブ型川底トンネルで、工期は1986年から1991年まで費やした[14]峠越え(英語)をして Dwygyfylchi 方面と Penmaenmawr 方面に至る旧道は、コンウィ山の麓をめぐる。

イギリスでいちばん小さい家

イギリス最小の家の外観

岸壁には間口1.8 m、奥行き3.05 m の建物が立ち、イギリスで最小の家としてギネス世界記録に登録された。16世紀以来、住人が絶えることなく代替わりしており、一時は子ども連れの家族が暮らしたこともある。ところが1900年、当時の家主は身長 6-フート (1.8 m) の漁師で名前をロバート・ジョーンズと言い、健康に悪いからと退去を命じられている。まともに立つこともできないほど部屋が狭かったからだが、その後も血縁者が引き継ぎ、少額の料金を取って見学させている。

中世の見張り塔

湿地の対岸にある館は Bodysgallen と呼ばれ、中世の塔がある。おそらくコンウィ城の兵士が見張りに立ったものと考えられる[15]

ギャラリー

コンウィの発展を絵画や写真で振り返る。

参考資料

脚注の典拠。主な執筆者名の50音順。

脚注

  1. Town population 2011”. 2015年5月21日閲覧。
  2. Archived copy”. 2016年11月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年11月3日閲覧。
  3. Ward population 2011”. 2015年5月21日閲覧。
  4. Parry, Richarc (1861) Llandudno: its history and natural history.
  5. Cathrall, William ; Andrew Crombie Ramsay. (1860) A guide through North Wales.
  6. Cymmrodorion Society. (1822) Transactions.
  7. Bennett, George John. (1838) The pedestrian's guide through North Wales.
  8. Conwy Castle Facts and Information”. History for Kids. 2012年4月4日閲覧。
  9. Joining the Jackdaws”. BBC Northwest Wales (2009年9月). 2012年4月4日閲覧。
  10. Evans, Kath (2011年3月11日). “Jackdaw Society for those Born within Conwy Walls Folds”. BBC Northwest Wales. https://www.bbc.co.uk/news/mobile/uk-wales-north-west-wales-12714684 2012年4月4日閲覧。
  11. Knight, Chales. (1847) The National Cyclopaedia of Useful Knowledge, 第III巻、p.1,018。
  12. Conwy Suspension Bridge”. Engineering Timelines. 2017年1月27日閲覧。
  13. Conwy Tubular Bridge”. Engineering Timelines. 2017年1月27日閲覧。
  14. Conwy Immersed Tube Tunnel”. Engineering Timelines. 2017年1月28日閲覧。
  15. History”. Bodysgallen Hall & Spa. 2017年1月28日閲覧。

関連項目

関連資料

本文の脚注にないもの。発行年順。

  • 編集部「北ウェールズを扼する堅城 コンウィ城」『歴史群像』第7巻第2号 (34)、ワン・パブリッシング(編)、学習研究社、1998年5月、p30-32。doi:10.11501/7968062(コマ番号0020.jp2)、 国立国会図書館限定。
  • 「14. ウェールズ §§コンウィ、バンゴール、カーナーヴォン―ウェールズ北部の町」『イギリス文化事典』イギリス文化事典編集委員会(編)、丸善出版、2014年、p692。全国書誌番号:22513540ISBN 978-4-621-08864-7。
  • ジョナサン・グランシー「ゴシック §§コンウィ城」『世界建築大全 = Architecture a visual history : より深く楽しむために』山田雅夫(日本語版監修)、日東書院本社、2016年、p192。全国書誌番号:22814018ISBN 978-4-528-02004-7。原題は『Eyewitness Companions:Architecture』。

外部リンク

Category:城砦のある都市

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.