ゲーリー・ジェスタッド

ゲーリー・アーサー・ジェスタッド(Garry Arthur Jestadt、1947年3月19日 - )は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ出身の元プロ野球選手内野手)。

ゲーリー・ジェスタッド
Garry Jestadt
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
イリノイ州シカゴ
生年月日 (1947-03-19) 1947年3月19日(76歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
188 lb =約85.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 三塁手二塁手遊撃手
プロ入り 1965年 MLBドラフト7巡目
初出場 MLB / 1969年9月17日
NPB / 1975年4月5日
最終出場 MLB / 1972年10月4日
NPB / 1976年10月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

日本ハムでの登録名は「ジェスター」、大洋での登録名は「ゲーリー」。

来歴・人物

フリモント高校を経て、1965年のMLBドラフト7巡目でシカゴ・カブスに指名され契約するが、カブスでのメジャー昇格は無かった。1968年エクスパンション・ドラフトモントリオール・エクスポズに移籍し、1969年9月17日メッツ戦(ジェリー)にゲイリー・ワセルスキーの代打としてメジャーデビューを果たす。結果はショートゴロであった。1970年シーズン途中に古巣・カブスに移籍し、同年のメジャー出場は無かった。1971年にカブスでメジャー再昇格を果たすが、カブスでは3試合に出場したのみで、同年シーズン途中にサンディエゴ・パドレスに移籍。パドレスでは同年に75試合、1972年には92試合に出場したが、1973年以降はメジャーでの出場機会は無かった。1975年に日本ハムファイターズへ日本ハム球団初の外国人野手として入団。一塁手以外のすべての内野を守れるとのキャッチフレーズで、130試合に出場したが主軸としては長打力・確実性ともに欠け、同年オフに解雇された。その後は大洋ホエールズに移籍するが、同年限りで引退したクリート・ボイヤーの「俺の引退後の三塁は彼しかいない」の一言が大洋入団の決め手となった。移籍した1976年も一塁以外の全ての内野を守り、18本塁打と主砲としての活躍も見せるようになったが、確実性の向上は見られず、シーズン終了後に退団となった。帰国後の1977年1980年にはサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下(当時)の3Aフェニックスでプレー。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1969 MON 6661000001000000000.000.000.000.000
1971 CHC 3330000000000000000.000.000.000.000
SD 75204189175513001011313311100249.291.328.360.688
'71計 78207192175513001011313311100249.286.324.354.678
1972 9228025615635168822001011320215.246.281.344.625
1975 日本ハム 13047645134109181915645225314134512.242.268.346.613
1976 大洋 12648443741103220181793714423843467.236.300.410.710
MLB:3年 176493454331181816156361313224204514.260.296.344.639
NPB:2年 256960888752124012733582369552569119.239.284.377.661

記録

NPB

背番号

  • 41 (1969年)
  • 16 (1971年)
  • 12 (1971年 - 1972年)
  • 3 (1975年)
  • 9 (1976年)

関連項目

外部リンク

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