グランドタマコシ

グランドタマコシは、愛知県岐阜県に出店していた総合スーパーである。現在は一部の店舗を平和堂が運営している。

株式会社グランドタマコシ[1]
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
491-0859
愛知県一宮市本町4-3-8[2]

愛知県一宮市若竹3-2-18[3]
設立 1966年昭和41年)9月8日[4]
業種 小売業
事業内容 百貨店[2]、スーパー[2]
代表者 代表取締役社長 玉腰隆造[2]
資本金 100万円[2]

1億6700万円[2]
決算期 2月20日[4]
主要株主 タマコシ46.6%[1]
玉腰隆造30.7%[1]
玉腰昌孝 2.1%[1]
玉腰千鶴子 1.6%[1]
柴山利男 1.0%[1]
杉本規三 1.0%[1]

歴史・概要

玉腰一男が1920年大正9年)に八百屋を開業し[5]1950年昭和25年)12月28日に「株式会社グランドタマコシ」を設立し法人化した[6]

1962年(昭和37年)に大垣店を増床し、食品売り場を開設した[6]

1965年(昭和40年)7月岐阜市の中心市街地柳ヶ瀬商店街の一角に総合スーパーの岐阜店を開設[7]、「株式会社グランドタマコシ」の関連会社として[6]1966年(昭和41年)9月8日に「株式会社グランドタマコシ」を設立[8]

1967年(昭和42年)11月15日には本社を兼ねて一宮市中心市街地真清田神社の表参道に当たる本町商店街の入り口に百貨店スタイルの地上7階地下2階の総合スーパーをオープンして一宮を代表する大型店となり[9][10]1980年(昭和55年)7月には大垣市の鶴見に郊外型ショッピングセンターの鶴見店を開設し[11]平和堂創業者の夏原平治郎と創業者玉腰一男の間で岐阜県はタマコシ、滋賀県は平和堂のエリアとして商圏が重複して競合しないように取り決める[12][13]など、愛知県一宮市を中心とする尾張地区と岐阜県の岐阜市や大垣市を含む西濃地区で地域密着型の営業活動を展開し[14][5]1993年平成5年)には30店舗で年商574億円[14]を上げるまでに成長した。

そして共に流通業の研究をしていたその平和堂を含む中堅スーパー7社で1974年(昭和49年)に日本流通産業株式会社ニチリウグループ)を設立して共同仕入を行って流通コスト削減に取り組み[13]、地元を中心とする取引先約300社で「グランドタマコシ会」を構成して商品情報の交換や商品の共同開発を行う[5]など仕入面でも様々な手を打つなど積極的な営業活動を展開した。

また、1983年(昭和58年)には岐阜店をファッションビル「センサ」に業態転換し、1986年(昭和61年)には北館をオープンさせるなど10-20代向けの品揃えで人気を集め[15]1990年(平成2年)扶桑町にエブリホームセンター扶桑店を開設[16]するなど多角化を進めた。

しかし、エブリホームセンター扶桑店は開設から8年の1998年(平成10年)には食品スーパーに転換することになり[16]、ファッションビル「センサ」は北館が開業から14年の2000年(平成12年)秋からは上層階を閉鎖して縮小し、破綻時には南館・北館共に1階のみの営業となる[15]など多角化路線は成功せず、その投資が重い負担となった[14]

さらに、大規模小売店舗法の規制を避けて出店した1980年代に出店した500㎡未満の小型店もその規制が緩和された影響で不採算となり[16]1998年(平成10年)には人員の削減[14]とそれら10店舗の閉鎖を行い[16]、代わりに同年度により規模も大きな食品スーパーを3店開設して[16]1999年(平成11年)には社長も交代して食品を強化するなど路線転換を進めたが[17]、過去の成功体験が変化をたくむ側面があって[18]業績は回復せず、2003年(平成15年)2月期には13店舗で年商302億円、純利益が4500万円まで落ち込み、翌年度末前日の2004年(平成16年)2月19日には関連会社との合わせて負債総額約240億円で名古屋地方裁判所民事再生法の適用を申請して事実上破綻に追い込まれた[14]

民事再生法の適用を申請した翌日の2月20日にはニチリウグループとして創業者自体から懇意としていた平和堂の夏原平和社長が大阪市で記者会見を開いてグランドタマコシから依頼を受けたとして債権のスポンサーとして名乗りをあげたが、ほぼ同時刻に岐阜県を地盤とし、従来から店舗譲渡などで取引があったバローが支援要請は受けていないがスポンサーとして支援する用意があるとの発表を名古屋証券取引所で行って、破綻後の店舗網の取得を巡って2社が競い合う状況が生じた[19]

そして、2月23日名古屋市で開かれた債権者集会にスポンサーに名乗りを上げた2社のうち、平和堂の夏原平和社長が出席して「仕入先やテナントとの取引は継続する」と表明し、グランドタマコシが「納入業者に安心してもらうため」と説明したが、正式にスポンサーに決まっているわけでもないのに債権者集会に出席することは「通常では考えられない」と同業他社から批判される異例の展開を辿ったが[20]、結局3月22日平和堂が正式にスポンサーとなる基本合意書を締結したと発表して、子会社平和堂東海が10の店舗とその従業員全員等を引継ぎ[8]、各店舗は平和堂及びアル・プラザへ名称変更して営業することとなった。

平和堂が引継がなかった店舗はしばらく従来通り営業を続けたが、ファッションビル「センサ」は夏に[15]、一宮店は9月30日に閉店し[21]、グランドタマコシの営業は終了することとなった。

特色

  • シンボルフラワーはバラの花で一部の店舗には壁面にバラのイラストが描かれていた。
  • 店舗のロゴマークは社名にちなみ「玉」の字の周囲をカタカナの「コ」の字が4つ丸く囲んだものであったが百貨店形式で「グランドタマコシ」を名乗った一宮店と大垣店に関しては「玉」の字をアルファベットの「G」が円状に囲んだマークが使用された。1976年にマークが変更され、全店舗に円を4つの扇状のパーツが囲むスタイルのロゴに変更され、店名ロゴも合わせて細く柔らかい書体となった。

店舗

平和堂に転換した旧タマコシ店舗

下記10店舗以外の愛知・岐阜県内にある平和堂は、新設および旧ヤナゲンストアー等の他店からの転換である。

一宮市

店舗面積1,439m2[3]、駐車台数約300台[22]
店舗面積1,230m2[3]
店舗面積7,081m2[3]
売上高55億7000万円(1978年(昭和53年)度)[24]

稲沢市

店舗面積1,882m2[3]
店舗面積4,179m2[3]

一宮市・稲沢市以外

店舗面積10,373m2[25]
古知野町の初代店舗から1999年3月の新築移転により開店。現在も総合スーパーとして継続して運営されている。
店舗面積1,824m2[1]
エブリホームセンター扶桑店から8年の1998年(平成10年)に食品スーパーに転換[16]

岐阜県

SAMタカトミ産ショッピングセンターの(売場面積9.023m2)の核店舗として出店した[26]
店舗面積9,935m2[27]
  • 鶴見店(大垣市鶴見町字上渡瀬641-2[23]1980年(昭和55年)7月25日開店[28]
敷地面積約35,500m2[29]、延べ床面積約18,500m2[29]、店舗面積10,939m2[3]、駐車台数約1,000台[29]
鉄筋コンクリート造り地上2階建て(一部3階建て)で、開業時点では、1フロアの売場面積は岐阜県下最大の大型店舗だった[29]
開業時のフロア構成は、1階が食品とファッションで、2階が家具や生活雑貨などのリビング用品などとなっていた[29]
旧鶴見ショッピングセンター(通称ツルタマ)。2006年1月まで営業し、建て替えを経て11月25日より新店舗「アル・プラザ鶴見」として再開店している

一宮市

店舗面積13,402m2[3]
百貨店形式[2]2004年(平成16年)9月30日に閉店[21]
ダイエー一宮店開業時には優位に商戦を進め、同店を苦境に立たせた[30]
売上高99億円(1978年(昭和53年)度)[31]
店舗面積272m2[32]
売上高1億8000万円(1978年(昭和53年)度)[32]
店舗面積353m2[3]
店舗面積482m2[3]
当社の小型スーパー2号店として開業した[33]
店舗面積627m2[1]
  • シティクラブ一宮バイパス店(一宮市[1]
店舗面積750m2[1]
  • エブリホームセンター尾西店(一宮市(旧尾西市[1]1987年(昭和62年)2月開店[1]
店舗面積1,721m2[1]

一宮市以外

店舗面積459m2[3]
当社の小型スーパー1号店として開業した[33]
店舗面積4,227m2[3]
売上高55億9000万円(1978年(昭和53年)度)[24]
井上醤油の土地約2,000m2を買収して、地上4階建ての店舗を建設して出店した[34]
現況はマンション「プラウド岩倉」(2005年1月竣工)[35]
延床面積約10,777m2[36]、店舗面積5,602m2[3]、駐車台数約500台[36]
先行して出店していたユニー江南店とほぼ同水準の売上を初年度から上げた[30]
売上高56億5000万円(1978年(昭和53年)度)[24]
SAMコウナン(通称SAMタマ)として現在の平和堂江南店に移転。跡地は愛昇殿の葬祭場。
店舗面積464m2[1]
建物は解体済で隣接する平和堂扶桑店の駐車場の一部となった。
当時使用されていた広告塔は平和堂の案内用に流用されている。

岐阜市

店舗面積1,650m2[38] → 約2,500m2[39] → 5,639m2[3]
1983年(昭和58年)3月30日にファッションビル「センサ」に業態転換し[39]1986年(昭和61年)には北館をオープン[15]2004年(平成16年)夏に閉店[15]
本館は鉄骨鉄筋コンクリート造り地下1階・地上5階建てであった[39]
売上高29億2000万円(1978年(昭和53年)度)[40]
店舗面積2,511m2[41]
店舗面積2,255m2[3]忠節駅ビル内に出店していた[41]
売上高12億5000万円(1978年(昭和53年)度)[40]
店舗面積1,433m2[3]
  • 島店(岐阜市北島7-3-21[23]


岐阜市以外

店舗面積1,221m2[43] → 5,336m2[3]
百貨店形式[2]
現況はマンション「リーデンススクエア大垣駅前通郭町」(2006年1月竣工)[44]
売上高56億2000万円(1978年(昭和53年)度)[40]
店舗面積990m2[1]
店舗面積486m2[1]
シティクラブは80年代から90年代にかけて展開していた男性向けカジュアルウェア専門店
跡地の建物は改装されて現在ダイソー可児店。

主な関連会社

脚注・出典

  1. 流通会社年鑑 1997年版, 日本経済新聞社, (1996-12-04), pp. 175-177
  2. 流通会社年鑑 1978年版, 日本経済新聞社, (1977-10-25), pp. 185
  3. 流通会社年鑑 1990年版, 日本経済新聞社, (1990-11-24), pp. 155-156
  4. 流通会社年鑑 1998年版, 日本経済新聞社, (1997-12-02), pp. 177
  5. 「ニチリウ創立20周年記念特集 グランドタマコシ・玉腰隆造代表取締役社長に聞く」『日本食糧新聞』日本食糧新聞社、1994年6月6日、17面。2021年10月17日閲覧。
  6. 『全国繊維企業要覧 昭和45年版』 信用交換所大阪本社、1969年。pp1475
  7. 構造改革特別区域計画 第3回認定特区(新規)岐阜市中心商店街再生特区 (Report). 内閣府構造改革特区担当室. (2003-11).
  8. 株式会社グランドタマコシの民事再生への支援に関する基本合意書締結について (Report). 平和堂. (2004-03-22).
  9. 「一宮初の本格百貨店 開店近い“タマコシ”十三日盛大な披露」『一宮タイムス』一宮タイムス社、1967年11月5日、1面。2021年10月17日閲覧。
  10. 一宮市中心市街地活性化基本計画 (案) (Report). 一宮市. (2008-10).
  11. 商 店 街 実 態 調 査― 岐阜県内の商店街振興組合・商工会・発展会の現状 (Report). 財団法人岐阜県産業経済振興センター. (2001-03).
  12. 夏原平治郎『おかげさまで八十年』サンライズ印刷、1999年。
  13. 北山幸子. “滋賀県における大規模小売業の展開―― 株式会社平和堂の事例を中心に ――”. 立命館経営学 第44巻第6号 (立命館大学) (2006-3).
  14. “中部夏期特集:上半期10大ニュース=グランドタマコシ、民事再生法申請し破綻”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2004年8月21日)
  15. “柳ケ瀬の顔、また消える/「センサ」今夏閉店へ/不況に勝てず”. 中部経済新聞 (中部経済新聞社). (2004年6月23日)
  16. 「グランドタマコシ、今期不採算店10店閉店し食品スーパー3店開店へ」『日本食糧新聞』日本食糧新聞社、1998年5月29日、6面。2021年10月17日閲覧。
  17. 「ニチリウ新社長就任記念特集:加盟社インタビュー=グランドタマコシ・玉腰社長」『日本食糧新聞』日本食糧新聞社、1999年7月15日、25面。2021年10月17日閲覧。
  18. “経営危険信号 過去の成功体験が変化を阻むグランドタマコシ,キンカ堂 (ワイド 特集 流通業界瀬戸際の攻防)”. 激流 1998年10月号 (国際商業出版) (1998-10).
  19. “グランドタマコシ民事再生法申請で、東海の流通業界は弱肉強食へ”. 中部経済新聞 (中部経済新聞社). (2004年2月21日)
  20. “異例づくめのグランドタマコシの倒産劇”. 中部経済新聞 (中部経済新聞社). (2004年2月25日)
  21. “グランドタマコシが閉店 37年の歴史に「蛍の光」”. 中日新聞 (中日新聞社). (2004年10月1日)
  22. 佐橋義金 『モータリゼーションと商店群の対応-1-』 名城商学 第28巻 第2・3・4合併号 (名城大学商学会) (1979年2月)。pp231
  23. 店舗案内”. グランドタマコシ. 2001年2月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年10月6日閲覧。
  24. “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp48
  25. “’99年開店SC一覧(1999年1月~12月)”. ショッピングセンター 2000年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (2000年1月1日).pp83
  26. “’94年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1994年12月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1994年12月1日).pp72
  27. “1992年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1992年12月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年12月1日).pp78
  28. “岐阜県経済”. 経済月報 1980年11月号 (十六総合研究所) (1980年11月).pp30
  29. “ニュースダイジエスト”. 総合食品 1980年9月号 (総合食品研究所) (1980年9月).pp157
  30. “"地域主義"に活路を見出す中堅スーパー "原点"追求で大手スーパーに逆攻勢”. ヤノニュース 1976年12月5日号 (矢野経済研究所) (1976年12月5日).pp22
  31. “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp47
  32. “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp49
  33. “小型店展開に着手グランドタマコシ”. 総合食品 1981年5月号 (総合食品研究所) (1981年5月).pp175
  34. 岩倉市史編集委員会 『岩倉市史 中巻』 岩倉市、1985年12月1日。pp868
  35. プラウドイワクラの不動産アーカイブ”. ライフルホームズ. LIFULL (2021年10月15日). 2021年10月17日閲覧。
  36. 山崎兌 『日本におけるアメリカ郊外型ショッピングセンターの出現について』 東洋大学工学部研究報告 17号 (東洋大学工学部研究報告編集委員会) (1982年3月)。pp90
  37. 『岐阜市史 通史編 現代』 岐阜市、1981年11月。pp年表20
  38. 『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp327
  39. “〈センサ〉効を奏した新テナント導入”. ショッピングセンター 1983年12月1日号 (日本ショッピングセンター協会) (1983年12月1日).pp27
  40. “全国大規模小売業地域別・店別売上高ランキング”. ヤノニュース 1980年6月5日号 (矢野経済研究所) (1980年6月5日).pp51
  41. “岐阜市小売商業の現況 大型店進出をめぐって”. 経済月報 1975年5月号 (十六総合研究所) (1975年5月).pp8
  42. “競争激化する岐阜市小売業界の現況”. 経済月報 1978年4月号 (十六総合研究所) (1978年4月).pp9
  43. 『日本スーパーマーケット名鑑 1966年版』 商業界、1966年。pp145
  44. リーデンススクエア大垣駅前通郭町”. ライフルホームズ. LIFULL (2021年10月15日). 2021年10月17日閲覧。

関連項目

外部リンク

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