クリシュナ・シャハ
生涯
1645年、父ダンバル・シャハが死亡したことにより、王位を継承した[1]。
父ダンバルはパタン・マッラ朝との友好関係を築いていたが、クリシュナと三都マッラ朝の支配するカトマンズ盆地の関係は不明である[2]。ただし、次代にもパタンとの友好関係は続いているから、この王の時代もパタンとの友好関係は続いていたようである。
脚注
- Nepal 2
- 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.487
参考文献
- 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。
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