カルロス・クエンティン

カルロス・ホセ・クエンティン(Carlos Josè Quentin, 1982年8月28日 - )は、アメリカ合衆国カリフォルニア州ベルフラワー出身のプロ野球選手外野手)。右投右打。

カルロス・クエンティン
Carlos Quentin
サンディエゴ・パドレス時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 カリフォルニア州ベルフラワー
生年月日 (1982-08-28) 1982年8月28日(40歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
240 lb =約108.9 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2003年 ドラフト1巡目 アリゾナ・ダイヤモンドバックス
初出場 2006年7月20日 ドジャース
最終出場 2014年7月26日 ブレーブス
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

スタンフォード大学在籍時には3年連続でカレッジ・ワールドシリーズに出場した経験を持つ。

ダイヤモンドバックス時代

2003年MLBドラフト1巡目でアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ入団。この年にトミー・ジョン手術を受けたため全休。

2004年にはA級とAA級でマイナーリーグシーズン新記録となる43死球を記録[1]

2005年マイナーで期待通りの活躍を見せ[2]

2006年7月20日にメジャーデビューを果たした。ショーン・グリーンの後釜として期待され[2]

2007年シーズンを迎えたが、2度の故障者リスト入りのため出場試合数が81に留まり、打率・本塁打・打点の打撃3部門は昨年を下回る成績に終わり、レギュラーの座をジャスティン・アップトンに奪われた[3]。チームは地区優勝を果たしプレーオフへ駒を進めたが、クエンティンはロースターから外され、シーズン終了後に痛めていた左肩の手術を受けた[1]

ホワイトソックス時代

2007年12月3日にトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍した。

2008年は開幕前は外野手の4、5番手を大学時代からの親友であるブライアン・アンダーソンと争っていたが、ジェリー・オーウェンスが開幕前に故障者リスト入りとなりレギュラーの枠が空いた[1]。シーズン初出場は開幕3戦目のインディアンス戦。それ以降本塁打を量産し、8月末の時点でリーグ最多の36本塁打を記録し、チームメイトは賛辞を惜しまず、A.J.ピアジンスキーは「彼以外にMVPは誰がいるんだ?もちろん彼が獲るべきだろう」と発言[1]。しかし、9月1日のインディアンス戦の第4打席でファウルした後にバットを右手で殴り手首骨折し[1]、シーズンを終えた。自己最高の打率.288、36本塁打、100打点を挙げた。

2009年も故障の影響で99試合にしか出場できなかった。しかしながら、2年連続で20本塁打以上を記録。

2010年は自己最多の131試合に出場したが、開幕直後の不振や途中の故障などがあり[4]、打率は.243にとどまった。本塁打(26本)と打点(87打点)は、いずれも2008年に次ぐ数字となったが、30本塁打と100打点には届かなかった。

2011年は終盤に肩を痛めて出場118試合にとどまりながら、24本塁打、77打点と活躍し、2度目のオールスターに出場。

パドレス時代

2011年12月31日にサイモン・カストロペドロ・ヘルナンデスとのトレードサンディエゴ・パドレスへ移籍した[5]。開幕前に、左膝を負傷し関節鏡手術を受けた。2012年5月28日に復帰した。最終的に、1年を通してクリーンナップとして活躍した。7月22日、3年総額2700万ドル(4年目・2016年の1000万ドルの相互オプション付き)で契約延長した。

2013年4月11日のロサンゼルス・ドジャース戦でザック・グレインキーと乱闘になった。その後の検査の結果、グレインキーに左鎖骨骨折で全治8週間の怪我をおわせ、8試合の出場停止の処分を下された[6]。6年連続2ケタ本塁打となる13発を放ったが、2ケタ本塁打を記録したシーズンとしては最低の数値である。

2014年、左膝の故障で自己最少の50試合出場に終わり大不振を極めた。打率.177・4本塁打・18打点はいずれもメジャー自己最低であり、特に打率が.200に満たなかったのは初である。

パドレス退団後

2015年4月5日にクレイグ・キンブレルメルビン・アップトン・ジュニアとのトレードで、キャメロン・メイビンマット・ウィスラージョーダン・パローベックとともにアトランタ・ブレーブスに移籍したが[7]、7日にDFAとなり[8]、14日にFAとなる。4月22日にシアトル・マリナーズとマイナー契約を結ぶが、5月1日に左膝の慢性的な痛みを理由に引退を表明する[9]

2016年2月1日にミネソタ・ツインズとマイナー契約を結び現役復帰。招待選手として参加したスプリングトレーニングでは15試合で2本塁打を放つが、3月29日にFAとなった。7月12日にメキシカンリーグプエブラ・パロッツと契約。

2017年2月8日にボストン・レッドソックスとマイナー契約を結ぶ。4月2日にFAとなる。7月11日にメキシカンリーグのモンクローバ・スティーラーズと契約。オフにFAとなった。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2006 ARI 5719116623421339883210111528346.253.342.530.872
2007 81263229294916058031221418111545.214.298.349.647
2008 CWS 13056948096138261362741007303660208016.288.394.571.965
2009 99399351478314021160563002312155211.236.323.456.779
2010 1315274537311025226217872204503208316.243.342.479.821
2011 118483421531073102421077110534023847.254.340.499.838
2012 SD 8634028444742101614346010336217416.261.374.504.877
2013 823202764276210131364400043109557.275.363.493.855
2014 50155130923604411800041704335.177.284.315.599
MLB:9年 83432472790416702173615413494911692302981012751679.252.347.484.831
  • 各年度の太字はリーグ最高

表彰

記録

背番号

  • 7 (2006年 - 2007年)
  • 20 (2008年 - 2011年)
  • 18 (2012年 - 2014年)
  • 91 (2016年 - )

脚注

  1. 阿部太郎「新天地で目覚めた才能 カルロス・クエンティン [CWS #20]」『スラッガー』2008年11月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-11、54 - 57頁
  2. 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2007』廣済堂出版、2007年、442頁頁。ISBN 978-4-331-51213-5。
  3. 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』廣済堂出版、2008年、170頁頁。ISBN 978-4-331-51300-2。
  4. 友成那智、村上雅則『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2011』廣済堂出版、2011年、138頁頁。ISBN 978-4-331-51518-1。
  5. Padres acquire Quentin for two prospects
  6. Quentin suspended eight games for Greinke incident
  7. Braves deal Kimbrel, Upton to Padres in blockbuster deal MLB.com Mark Bowman 英語 (2015年4月5日) 2015年4月12日閲覧
  8. Maybin added, Quentin designated in series of moves MLB.com Mark Bowman 英語 (2015年4月7日) 2015年4月12日閲覧
  9. Former All-Star Quentin announces retirement MLB.com 英語 (2015年5月2日) 2015年5月8日閲覧

関連項目

外部リンク

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