アディソン・ラッセル

アディソン・ウェイン・ラッセルAddison Wayne Russell, 1994年1月23日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州サンタローザ郡ペース出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。KBOキウム・ヒーローズ所属。愛称はアディー[1]

アディソン・ラッセル
Addison Russell
キウム・ヒーローズ #27
シカゴ・カブス時代
(2017年7月15日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州サンタローザ郡ペース
生年月日 (1994-01-23) 1994年1月23日(29歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
200 lb =約90.7 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 遊撃手二塁手
プロ入り 2012年 MLBドラフト1巡目
初出場 MLB/ 2015年4月21日
KBO/ 2020年7月28日
年俸 $530,000(2020年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴

プロ入りとアスレチックス傘下時代

2012年MLBドラフト1巡目(全体11位)でオークランド・アスレチックスから指名され、プロ入り。この年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・アスレチックスでプロデビューし、A-級バーモント・レイクモンスターズ、A級バーリントン・ビーズでもプレーした。

2013年はA+級ストックトン・ポーツで107試合に出場し、打率.275・17本塁打・60打点・21盗塁の成績を残した。また、AAA級サクラメント・リバーキャッツでも3試合に出場した。

2014年はA+級ストックトンとAA級ミッドランド・ロックハウンズでプレーした。

カブス時代

2014年7月6日ジェフ・サマージャジェイソン・ハメルとのトレードで、ダン・ストレイリービリー・マッキニーと共にシカゴ・カブスへ移籍した[2]。移籍後は傘下のAA級テネシー・スモーキーズに配属され、50試合に出場し、打率.294・12本塁打・36打点・2盗塁の成績を残した。

2015年は開幕をAAA級アイオワ・カブスで迎えたが、4月21日にメジャー初昇格を果たした。同日のピッツバーグ・パイレーツ戦では9番・二塁手として先発起用され、メジャーデビュー[3]。結果は5打数無安打だったが、翌日の同カードでバンス・ウォーリーからメジャー初安打を放った。5月1日ミルウォーキー・ブルワーズ戦ではチームを1 - 0での勝利に導くメジャー初本塁打をウィリー・ペラルタから放った[4]。この年はジョー・マドン監督の方針により投手を8番、ラッセルを9番打者で起用されることが多く、142試合に出場し、打率.242・13本塁打・54打点・OPS.696と新人としてはまずまずの成績を残した。守備では、本職の遊撃手より二塁手を守る試合の方がやや多く、守備防御点の合計は +19と高水準だった。シーズンオフにジェイソン・ヘイワードがFAで加入したことに伴い、背番号「22」を譲り、「27」に変更となった[5]

2016年は前半戦終了時点で打率.232・11本塁打・OPS.731という成績だったが、シーズン好調のカブスに人気が集まったことと、守備での貢献を評価される形でファン投票でオールスターゲーム初選出となった。シーズン通算では151試合出場、打率.238・21本塁打・95打点・5盗塁の成績を残した。特にカブスの遊撃手としてシーズン90打点以上をマークしたのは、殿堂入りのアーニー・バンクス以来2人目のことであった。守備面での貢献度も高く、148試合の遊撃守備でDRSは + 19・UZRは + 15.4というハイレベルな水準だった。サンフランシスコ・ジャイアンツとのディビジョンシリーズでは4試合で15打数1安打0打点、打率.067の不振に陥ったものの、ロサンゼルス・ドジャースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは6試合で22打数4安打、2本塁打4打点、打率.273と復調をみせた。クリーブランド・インディアンスとのワールドシリーズ第6戦では3回にインディアンス2番手のダン・オテロから満塁本塁打を放つなど、2安打6打点の大活躍を見せた。ワールドシリーズ初出場の選手が満塁本塁打を放ったのは2005年のワールドシリーズ第2戦のポール・コネルコ以来であった。ワールドシリーズでの成績は7試合で27打数6安打、1本塁打9打点、打率.222だった。

2017年4月19日のミルウォーキー・ブルワーズ戦で、ネフタリ・フェリスから自身初のサヨナラ本塁打を記録[6]

2017年、妻がInstagramでラッセルの浮気を暴露。さらに、妻の友人がラッセルの妻への家庭内暴力をブログで証言[7]。2018年8月に離婚[8]。同年9月、元妻が家庭内暴力をブログで告発したのを受けて、MLBの規定により出場登録抹消[9]。10月から40試合出場停止処分を受ける[10]

2019年5月8日に出場停止処分解除。オフの12月2日にノンテンダーFAとなった[11]

第一次キウム時代

2020年6月20日にKBOリーグキウム・ヒーローズと1年53万ドルで契約した[12]。シーズン終了後の11月27日に球団が来季の契約を結ばないことを発表した[13]

メキシカンリーグ時代

2021年から2年間は、メキシカンリーグモンクローバ・スティーラーズでプレーした。

第二次キウム時代

2022年12月12日、古巣のキウム・ヒーローズと契約した[14]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2015 CHC 142523475601152911318554431242231498.242.307.389.696
2016 15159852567125253212199551065561213511.238.321.417.738
2017 1103853525284213121474321002954915.239.304.418.722
2018 1304654205210521151433840124022997.250.317.340.657
2019 822412152551419842320122023587.237.308.391.699
2020 キウム 6527124422621402823120032012376.254.317.336.653
MLB:5年 61522121987256480100960778253175312186172453238.242.312.392.704
KBO:1年 6527124422621402823120032012376.254.317.336.653
  • 2020年度シーズン終了時

表彰

  • Topps ルーキーオールスターチーム (二塁手部門:2015年)

記録

背番号

  • 22 (2015年)
  • 27 (2016年 - 2019年、2021年 - )
  • 50 (2020年)

脚注

関連項目

外部リンク

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