USエクスプレス

USエクスプレスThe U.S. Express)は、プロレスラーバリー・ウインダムマイク・ロトンドによるプロレスタッグチームである。1980年代中盤、ベビーフェイスの大型新鋭コンビとしてNWAWWFで活躍した。

ザ・USエクスプレス
タッグチーム
メンバー バリー・ウインダム
マイク・ロトンド
名称
  • ザ・USエクスプレス
  • ザ・ユー・エス・エクスプレス
デビュー 1983年
解散 1986年
団体

ロトンドはウインダムの父親ブラックジャック・マリガンの娘婿であり、両者は義兄弟の間柄にある。

来歴

1983年9月、NWAフロリダ地区において、イライジャ・アキーム&カリーム・モハメッドのザンブイ・エクスプレスを相手に初コンビを組み、翌年より正式なタッグチームとして始動する[1]。当時はまだチーム名がなかったものの、次代を担う新星同士のユニットとして注目された。1984年3月14日、マイアミにてロン・バス&ブラック・バートのロング・ライダーズを破り、フロリダ版のNWA USタッグ王座を獲得[2]。以降もロング・ライダーズと同王座を争い、7月14日にチャボ・ゲレロ&ヘクター・ゲレロのロス・ゲレロスに明け渡すまで、通算4回に渡って戴冠した[2]。このNWA時代には、同年6月30日にマイアミ・オレンジボウルにてロード・ウォリアーズ、9月1日にはグリーンズボロ・コロシアムにてイワン・コロフ&ニキタ・コロフザ・ラシアンズなど、当時を代表するヒールの強豪チームとも対戦している[3][4]

1984年末、ビンス・マクマホン・ジュニアの新体制下で同年より全米侵攻を開始していたWWFに2人揃って移籍、ベビーフェイスに転向していたルー・アルバーノマネージャーに迎え、USエクスプレスThe U.S. Express)のチーム名で活動。1985年1月21日、コネチカット州ハートフォードにてディック・マードック&アドリアン・アドニスのノース・サウス・コネクションからWWF世界タッグ王座を奪取する[5]。3月31日にニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンで開催されたレッスルマニア第1回大会では、アイアン・シーク&ニコライ・ボルコフの反米コンビを相手に防衛戦を行ったが、シーク組のマネージャーだったフレッド・ブラッシーが投げ入れたステッキでウインダムが殴打されて敗退[6]。一度はタイトルを奪われるも、6月17日のポキプシーでのTVテーピング・マッチにて奪還に成功した[7]。以降はジョニー・バリアントがマネージメントするグレッグ・バレンタイン&ブルータス・ビーフケーキのドリーム・チームと抗争するが、8月24日のフィラデルフィアでの防衛戦において、バリアントの干渉によって再び王座から陥落、同年10月にWWFを離脱した[6]

1986年1月、揃って全日本プロレスに来日。ジャイアント馬場&天龍源一郎ジャンボ鶴田&石川敬士長州力&谷津嘉章アニマル浜口&寺西勇などのチームと対戦し、ザ・グレート・カブキと異色トリオを組んでの6人タッグマッチにも出場した[8]。同年4月20日には、ミネアポリスメトロドームで開催されたAWAのビッグイベント "WrestleRock 86" に出場、スティーブ・カーン&スタン・レーンファビュラス・ワンズとの人気チーム同士によるベビーフェイス・マッチが行われた[9]。しかし、翌月よりロトンドは単身でWWFに復帰し、ダニー・スパイビーをパートナーに新チームのアメリカン・エクスプレスThe American Express)を結成[10]、袂を分かつこととなった。その後、1988年から1990年にかけて、両者は末期のジム・クロケット・プロモーションズおよび初期のWCWを共通の主戦場としていたが、ロトンドのヒールターンに伴うギミック変更やウインダムのフォー・ホースメン加入などもあり、USエクスプレスが再結成されることはなかった。

解散後は2001年1月28日の全日本プロレスの東京ドーム大会(カート・ヘニングとのトリオによる6人タッグマッチ出場)を経て、2003年11月にIWAジャパンにて17年ぶりにUSエクスプレスが復活、スティーブ・ウィリアムス&三宅綾ジャイアント・キマラ1号&木藤裕次などのチームと対戦した[11]。翌2004年5月4日、後楽園ホールで行われたロトンドの引退試合では三宅綾を加えたトリオで、ジム・ドゥガンロード・ウォリアー・アニマル松田慶三組から勝利を収めた[12]

その後は2005年1月29日、かつての主戦場であるフロリダ州タンパで開催された "WrestleReunion" にてバス&ラリー・ズビスコと対戦している[13]2008年3月10日にはWWERAWにおいて "WrestleMania 1 Rematch" としてシーク&ボルコフとの対戦が予定され、久々にコンビでWWEのリングに登場。ジリアン・ホールの干渉で試合は行われなかったものの、ロトンドはジリアンへのお仕置きとして、USエクスプレス時代の得意技だったエアプレーン・スピンを放った[14]

獲得タイトル

チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWA USタッグ王座 (フロリダ版) : 4回[2]
ワールド・レスリング・フェデレーション

入場テーマ曲

ハルク・ホーガンの入場テーマ曲として知られるリック・デリンジャーの "Real American" は、当初はUSエクスプレスが使用する予定だった[15]。この曲が収録されたLPレコードThe Wrestling Album』は1985年11月にリリースされたが、同時期にウインダムとロトンドがWWFを離脱したため、同曲はホーガンのエントランス・ミュージックとなった(1998年にCD化された際にも "Windham & Rotundo's Theme" とクレジットされている)。なお、それ以前のUSエクスプレスの入場テーマ曲はブルース・スプリングスティーンの "Born in the U.S.A." だった。

脚注

  1. Barry Windham and Mike Rotundo”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  2. NWA United States Tag Team Title [Florida]”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月28日閲覧。
  3. CWF Lords of The Ring 1984/06/30”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
  4. MACW at Greensboro 1984/09/01”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
  5. History of the WWE World Tag Team Championship”. WWE.com. 2015年3月28日閲覧。
  6. WWE Yearly Results 1985”. The History of WWE. 2015年3月28日閲覧。
  7. WWWF/WWF/WWE World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年3月28日閲覧。
  8. The AJPW matches fought by Barry Windham in 1986”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  9. AWA WrestleRock”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
  10. WWE Yearly Results 1986”. The History of WWE. 2015年3月28日閲覧。
  11. Tag Team "US Express"”. Wrestlingdata.com. 2015年3月28日閲覧。
  12. IWA Japan Mike Rotundo Retirement Show”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
  13. WrestleReunion”. Cagematch.net. 2015年3月28日閲覧。
  14. WWE Yearly Results 2008”. The History of WWE. 2015年3月28日閲覧。
  15. Reviewing The Wrestling Album”. Mental Floss. 2015年3月28日閲覧。

外部リンク

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