G・L・ピーリス

ガミニ・ラクシュマン・ピーリスシンハラ語: ගාමීණි ලක්ෂ්මණ් පීරිස්, 英語: Gamini Lakshman Peiris, 1946年8月13日 - )は、スリランカ法学者政治家。現在、同国外相。2010年~2015年にも外相を務めたほか、教育相の経験もある。スリランカ人民戦線所属。

G・L・ピーリス
ගාමීණි ලක්ෂ්මණ් පීරිස්
G. L. Peiris
外務大臣時代のピーリス
生年月日 (1946-08-13) 1946年8月13日(76歳)
出生地 セイロン
出身校 セイロン大学コロンボ校
オックスフォード大学
前職 法学者
所属政党人民連合→)
統一国民戦線→)
スリランカ人民戦線
称号 PhD
公式サイト G. L. Peiris

内閣 G・ラージャパクサ内閣
在任期間 2020年8月12日 - 2021年8月16日

スリランカ外務大臣
内閣 M・ラージャパクサ内閣
在任期間 2010年4月23日 - 2015年1月12日
在任期間 2021年8月16日 - 現職

生い立ち・学歴

父親のグランヴィル・ピーリスは外交官で、セイロン大使として西ドイツミャンマーへ赴任した[1]。叔父のバーナード・ピーリスも政治家であった。ガミニ自身はセイロン大学コロンボ校法学部へ進学し、卒業後はローズ奨学制度を利用してオックスフォード大学ニュー・カレッジの博士課程へと進学した。同カレッジでPhDを取得したのち、1974年にはコロンボ大学大学院から2つ目のPhDを取得している[2]

学者として

セイロン大学の教員となったピーリスはその後法学部教授となり、学部長も務めた。さらに、コロンボ大学の第2代副学長に就任した。1988年から94年まで副学長を務めたあと、政治家に転身した。

政治家として

1994年、ピーリスは人民連合(PA)の全国比例区選出として国会議員になった。当時の首相チャンドリカ・クマーラトゥンガは、親しかったピーリスを法務・憲法問題大臣兼財務副大臣に指名した。大臣就任直後に担当していた政策は貿易分野であったが、内閣改造後は民族問題・国民統合も加えて担当することになった。法務大臣としても30以上の法案を提出し、時代に即した革新的な法律を制定した[2]

2001年、クマーラトゥンガ率いる人民連合が敗れたことに伴ってピーリスも下野した。

人民連合を脱退したピーリスは、対抗政党の統一国民党(UNP)が率いる与党統一国民戦線(UNF)に入った[3]

UNP総裁で当時首相を務めていたラニル・ウィクラマシンハは当時内戦状態にあった反政府組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)との和平交渉をピーリスに委ねた[4]

2021年8月16日の内閣改造で外務大臣のディネーシュ・グナワルダナと役職を交換し、ピーリスが再び外務大臣に就任した[5]

脚注

  1. Gentleman politician”. 2011年1月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年1月10日閲覧。
  2. G.L. Peiris CV”. Asian-affairs.com. 2019年11月14日閲覧。
  3. Archived copy”. 2010年3月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月23日閲覧。
  4. “Sri Lanka talks snag 'resolved'”. BBC News. (2003年1月7日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/south_asia/2630523.stm 2019年2月3日閲覧。
  5. “Sri Lanka axes health minister over Covid misinformation as outbreak grows”. France 24. (2021年8月16日). https://www.france24.com/en/live-news/20210816-sri-lanka-axes-health-minister-over-covid-misinformation-as-outbreak-grows 2021年8月16日閲覧。

外部リンク

This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.