1991年のバングラデシュ・サイクロン
1991年のバングラデシュ・サイクロン(1991 Bangladesh cyclone)は、1991年4月下旬にバングラデシュのチッタゴン地方を襲って、甚大な被害をもたらしたサイクロンである[1]。
1991年のバングラデシュ・サイクロン 1991 Bangladesh cyclone | |||
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カテゴリー5の サイクロン (SSHWS) | |||
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発生期間: | 1991年4月24日 - 4月30日 | ||
最大風速: (10分間平均) | - | ||
最大風速: (1分間平均) | 260 km/h | ||
最低気圧: | 918 hPa | ||
被害総額: | 17億ドル(1991 USD) | ||
死者数: | 138,866人以上 | ||
被害地域: | バングラデシュ・インド・ミャンマー・中国雲南省 |
概要
1991年4月25日にベンガル湾南部で発生した熱帯低気圧が26日にサイクロンに昇格し[2]、インド気象局(IMD)によりBOB 01と命名され、合同台風警報センター(JTWC)により熱帯低気圧番号02Bが付番された。このサイクロンを日本の番号形式で表すと「サイクロン2号」となる[3]。サイクロンはその後北に進み、北緯16度を超えた頃から北北東に進み、29日から30日の夜半に、バングラデシュ東部にあるチッタゴン付近を直撃した[2]。
日本の気象衛星ひまわりやレーダー、アメリカ海洋大気庁(NOAA)などによる映像を利用してサイクロンを監視していたバングラデシュ気象局(BMD)が警報を発表したところ、およそ300万人が避難したという(バングラデシュ政府の発表による)[2]。
被害
このサイクロンは、バングラデシュにおいて高潮などによる壊滅的な被害をもたらした。犠牲者の数は、公式発表によるものだけでも14万人を越え、被害総額は24億ドルと推定される[2]。
被害が深刻なものとなった原因としては、バングラデシュの南東部では強力なサイクロンを30年以上にわたって経験していなかったことや、サイクロンが通過したのが真夜中であったこと、サイクロン襲来日の前日が満月で天文潮位が高かったこと、サイクロンが遅いスピードでゆっくりと進んだこと、人口密度が高く、貧困な住民が大半を占める地域であったことなどが挙げられる[2]。
脚注
- “1991年サイクロンによるバングラデシュの高潮・強風災害”. 2020年8月7日閲覧。
- “バングラデシュの高潮対策についての若干の考察(1991 年 4 月 29~30 日に発生した災害の現地調査から)”. 松田磐余. 2020年8月7日閲覧。
- “デジタル台風:ベンガル湾のサイクロン:Cyclone 199102 - バングラデシュで大規模災害”. agora.ex.nii.ac.jp. 国立情報学研究所. 2020年8月7日閲覧。
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