15のハンガリーの農民の歌

15のハンガリーの農民の歌(Sz. 71, BB 79)はバルトーク・ベーラによるピアノのための作品である。

  • 原語曲名:15 Magyar parasztdal(ハンガリー語) 15 Hungarian Pesant Songs(英語)
  • 演奏時間:約13分
  • 初演:第6曲から第15曲までを1920年4月16日にポジョニ(現ブラチスラヴァ)で、第1,2,5曲を1923年2月27日にブダペストでどちらも作曲者自身のピアノ独奏で。

作曲の経緯

この作品は、バルトークが珍しくいつ作曲を終えたのかを自筆譜に記述していない。そのため各曲の正確な成立年度が分からないが、後述するような草稿などの資料などから、少なくとも第7曲から第15曲は1914年には完成しており、残りが1918年までに作曲されたものであると考えられている。完全にオリジナルの作品ではなく、バルトークが1909年から12年、1918年に収集した民謡の性質を生かしつつピアノ伴奏を付加した、いわば一種の編曲作品である。

構成

大きく分けて以下の4部分に分かれる。

  • 「4つの古い悲歌」と題した第1曲 - 第4曲
  • 第5曲
  • 第6曲
  • 「古い(農民の)舞曲」と題された第7曲 - 第15曲(テンポ指示上、まとめて演奏するのが前提になっている)

なおコンサートピアニストでもあったバルトークは自身でもこの曲をコンサートでよく取り上げ、自身でも録音を残している。しかし初演以降は「古い舞曲」の9曲か、第6曲のバラードを加えた10曲でしか演奏していない。

()内は元の民謡のタイトル。

  1. Rubato (Megkötöm lovamat - 私は馬を繋ぐ)
  2. Andante (Kit virágot rózsám adott - 私のバラの花は誰に捧げたのか)
  3. Poco rubato (Aj, meg kell a búzának érni -ああ、麦は熟したに違いない)
  4. Andante (Kék nefelejcs ráhajlott a vállamra - 肩には青い忘れな草)
  5. Scherzo. Allegro (Feleségem olyan tiszta - 私の妻はとても純粋です)
  6. Ballade(Tema con variazioni). Andante - Poco adagio - Più andante - Maestoso (Angoli Borbála - アンゴリ・ボルバーラ)
    ベーケーシュ県のヴェーステー(Vésztő)において収集された歌「アンゴリ・ボルバーラ(Angoli Borbála)」を変奏曲として扱った。歌詞の内容は、結婚前に恋人の子を身ごもった少女アンゴリ・ボルバーラが、それを恥とする母によって死に追いやられ、それを知らされた恋人も彼女を追って自殺するというもの。
    バルトークは妻・マールタに宛てた手紙の一つにおいて特別な言及をしている。「...7つのハンガリーの歌に和声を付け終えた。その中にはエクレシュ・ローザ(Ökrös Róza)の有名なアンゴリ・ボルバーラもある。是非、これを聞いて欲しい、というのも、こんなハンガリー語で、それに加えてアルフェルドのちょうど中心地で、そして更にそれに加えて、7/8の拍節で、本当の感動を聞く事ができるのだから...」(1917年の夏の終わりに[1]。)
  7. Allegro (Arra gyere, amőrre én -私が行くところへ来てください)
  8. Allegretto (Fölmentem a szilvafára - 梅の木に登った)
  9. Allegretto (Erre kakas, erre tyúk - こっちの雄鶏、あっちの雌鶏)
  10. L'istesso tempo(quasi trio) (Zöld erdőben a prücsök - コオロギの森)
  11. Assai moderato (Nem vagy legény - あなたは独身じゃないから)
  12. Allegretto (Beteg asszony, fáradt legény - 病める女、疲れる男)
  13. Poco più vivo - Allegretto (Sári lovam a fakó - 私の馬サーリは色褪せた)
  14. Allegro (Ësszegyűltek, ësszegyűltek az izsapi lányok - イズサップの女の子たちが、集まっている、集まっている)
  15. Allegro 歌詞のない旋律。バグパイプによって演奏された。

組曲の第6、第7から第12、第14、及び第15曲の9曲は、1931年にバルトークにより管弦楽編曲され、ハンガリーの農民の歌という題名で1933年に発表された。またバルトークのピアノの弟子のひとりで、のちにフランスで活動した作曲家ポール・アルマ(イムレ・ワイスハウス 1905年10月22日-1987年12月2日)は、1952年に第6曲を除いてフルートとピアノ(1964年にはフルートとオーケストラ)のための「ハンガリー農民組曲(Suite Paysanne Hongroise)」の名で編曲し、楽譜はウニヴェルザール出版社から出版されている。

自筆に基づく資料

  • 草稿
  1. (1914年の段階) 第2、第4.、及び第7から第15曲。BB 80a、そして3つの未出版曲。なお、バルトークはこの時点で出版を計画していたが第1次世界大戦の影響で中断したことが判っている。
  2. (1918年の段階) 第1.、第3.、及び第5–6曲 BB 80b/II–III、そして3つの未出版曲(草稿は全ての手書きによる楽譜が連結されている: A. Fassett, ®. バルトークの次男バルトーク・ペーテル のコレクション:34PS1).
  • ウニヴェルザール出版社版 6370 初版(1920)の校訂用複写, 当時のバルトーク夫人ツィーグレル・マールタの手による、バルトークの修正を含めた複写:第1から第4曲(そして"第1曲"として計画されていたBB 80a)、取り除かれた„第5と第6”曲、第7から第15曲、第5–第6曲(バルトーク・ペーテルのコレクション:34PFC1).
  • 複写: BB 80a, 第3曲、第2曲、そして第"6"曲、マールタのコピー(バルトーク・ペーテルのコレクション:34PFC2).

脚注

  1. 出典Ujfalussy József, a Bartók breviárium 230ページ)

外部リンク

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