鶴岡政男
概要
人間の根源を極限まで追求した独自の画風を展開。「事ではなく物を描く」という主張は、画壇にセンセーショナルを巻き起こした。
作品を売って収入を得ることをほとんどしなかったため、焼き鳥の屋台や衣装デザインの仕事の傍ら絵を描き続けた。抽象画で強い印象を与えた一方で、具象的な絵も残している。晩年はほぼ失明状態となったが、病院のベッドの上で描き続けた。1979年9月27日、肺がんのため東京都台東区の下谷病院で死去。73歳[1]。
経歴
作品
- 「髭の連作」
- 「落下する人体」
- 「夜の祭典」
- 「喰う」
- 「重い手」
- 「リズム」
- 「寓意像 鶴岡政男素描画集」パルコ出版 1988
評伝
- 三田英彬「芸術とは無慚なもの 評伝・鶴岡政男」山手書房新社 1991 - 第2回Bunkamuraドゥマゴ文学賞
- 鶴岡美直子「ボタン落し 画家鶴岡政男の生涯」美術出版社 2001
脚注
- 訃報欄 鶴岡政男氏(つるおか・まさお)=画家、自由美術協会委員『朝日新聞』1979年(昭和54年)9月28日朝刊 13版 23面
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.