高階経敏
経歴
白河上皇に近臣として仕える一方で、寛治4年(1090年)ごろ相模守を務め、任期後の嘉保3年(1096年)治国の労により従五位上に叙せられ、治部少輔も務めた。
その後、天永3年(1112年)武蔵守、元永2年(1119年)能登守、大治元年(1126年)長門守と受領を歴任し、この間の永久6年(1118年)に正五位下に叙せられている。のち、位階は正四位下に至った。
官歴
脚注
- 宮崎[1990: 110]
- 『中右記』
- 『大間成文抄』第10上
- 『二中歴』では3月24日だが、『長秋記』3月7日条に遷任記事あり(宮崎[1990: 263])
- 『尊卑分脈』
参考文献
- 宮崎康充編『国司補任 第五』続群書類従完成会、1990年
This article is issued from Wikipedia. The text is licensed under Creative Commons - Attribution - Sharealike. Additional terms may apply for the media files.