高尾城 (加賀国)
高尾城(たこじょう、たこうじょう[1])は、石川県金沢市に存在した日本の城。高尾城の築かれた高尾山一帯は、「ジョウヤマ」と呼ばれ付近住民から親しまれている。
(石川県) | |
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別名 | 高雄城、田江城、多胡城、高生城、冨樫城 |
城郭構造 | 山城 |
築城主 | 富樫氏 |
築城年 | 鎌倉時代? |
主な改修者 | 富樫政親 |
主な城主 | 富樫氏 |
廃城年 | 1488年(長享2年)? |
遺構 | 石垣、土塁、堀 |
指定文化財 | 未指定 |
位置 | 北緯36度30分51.5秒 東経136度38分12.1秒 |
地図 |
高尾城 |
概要
詳細な築城年は不明。
1488年(長享2年)、加賀国守護大名の富樫政親が、攻め寄せた加賀一向一揆衆に対し篭城。抗戦むなしく自害した場所として有名である[2]。
井上鋭夫によると、「『皇国地誌』(明治十三年)から『石川県史蹟名勝調査報告』(大正十三年)までは、高尾城が悲劇の舞台であったことを記している[3]」と述べている。さらに、後に文化財の保護を意図した昭和三十七年の遺跡分布図には、第一級史跡にあたる高尾城が掲載されていないことに触れている。[3]
昭和四十五年九月から始まった公共工事によって、多数のブルドーザーが山城を突き崩した。公共工事が行われることになった要因は、北陸高速自動車道路の工事が始まり、土取り場に指定されたからである。道路公団と石川県、石川県の教育委員会は、反対運動に対し、これは国策であると推進した。その結果、史跡は破壊された。[3]
所在地
石川県金沢市高尾町 ※現在の発音は「たかおまち」である
アクセス
JR北陸本線金沢駅から 北鉄金沢バス30,31番系統 高尾南1丁目下車、徒歩15分
脚注
出典
- 山川出版社『詳説 日本史B』
- 「鎌倉時代、室町時代、安土・桃山時代の遺跡」金沢市公式HP
- 笠原一男、井上鋭夫『日本思想大系17 蓮如、一向一揆』岩波書店、19720925、616頁。
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