靱
概要
東を西横堀川、西を百間堀川、南を阿波堀川、北を京町堀川で囲まれた島を指し、阿波堀川の太郎助橋(現:靱本町1交差点)付近からは海部堀川が分岐し、地内を流れていたが、現在これらの堀川は全て埋め立てられている。
かつて靱の海部堀川沿いには海産物市場が形成され、荷揚場は「永代浜」と呼ばれた。また、海産物を中心とする問屋街も広がっていた。
第二次世界大戦直後に北部の大半を占領軍に接収され、小型飛行機発着用の靱飛行場が建設された。占領が解除された後は、大阪市が都市公園として整備し、靱公園となった。
歴史
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