ABCヤングリクエスト

ABCヤングリクエスト』は、朝日放送ラジオ(ABCラジオ)で1966年昭和41年)4月1日から、1986年(昭和61年)10月3日まで放送された、リスナー参加のリクエスト音楽番組である。通称"ヤンリク"

ABCヤングリクエスト
ジャンル 音楽番組
放送方式 生放送
放送期間 1966年4月-1986年10月
放送時間 毎日 23:10-翌3:00
番組末期は月-金曜日 22:00-翌3:00
放送局 朝日放送
パーソナリティ 朝日放送若手男性アナウンサー
関西地区若手女性ラジオパーソナリティ
(日替わりで担当・別掲)
出演 笑福亭仁鶴
キダ・タロー
「謎のおじさん」(高尾元通
月亭八方
桂べかこ
ほか
テーマ曲 ABCヤングリクエスト
企画 ヤンリク・ベスト20
ヤンリク・おもちゃ箱
命を賭けてる60秒
仁鶴・頭のマッサージ
ミキサー完備 スタジオ貸します
ほか

概要

ハガキによる楽曲のリクエストを主体に、多彩なコーナーを盛り込みながら、ABCラジオにおける深夜放送の基礎を築いた生放送番組。本番組の始まった1966年は、ラジオ大阪の深夜番組がお色気番組路線で独走しており、これに対抗して「清く明るく美しく」をモットーに、下ネタを厳禁とした[1][2]。開始当初の放送時間は、23:10から深夜2:00まで[3]。放送第1回目は、道上洋三「あなたと私は、ポストカードのお友達」という第一声で始まった[1]。『MBSヤングタウン』(MBSラジオ、開始当時は『歌え!MBSヤングタウン』)、『日本列島ズバリリクエスト』(放送当時は近畿放送ラジオ、現在はKBS京都ラジオ)などとともに、長きにわたって関西地方名物の深夜放送として君臨した。

番組タイトル案には、もう一つ「ABCゴールデンリクエスト」というものもあった。「ヤングリクエスト」にしたらスポンサーが付き易い、リスナーの年齢層を広げるためには「ゴールデンリクエスト」の方がいい、などと検討したが、ヤングリクエストの方に落ち着いた[1]

本番組放送開始前の深夜の時間帯の聴取率は1~2%台であったが、本番組開始後の1968年には6%台にまで上がった[1]。はがきの数も最初7千通台だったものが、ピークの時には連日3万通を数えるようになった。末期の時にも日に5千~1万通を数えていた[2]

番組開始当初は月曜から土曜までの毎晩午後11時10分から放送。1967年4月2日からは日曜日でも放送を開始し、全日毎晩午後11時10分からの放送となった[4]。当初は午前2時で放送を終えていたが、1969年4月1日から放送時間を午前3時まで延長[5]。ABCラジオが24時間放送を開始した1983年10月3日からは、土・日曜放送分に『ヤンリク サタデー(サンデー)スペシャル』というタイトルを冠する。1984年10月8日からは、平日のスタート時間を午後10時に繰り上げ、午前3時までの5時間生放送を実施していた。逆に土・日曜は1985年4月から午前0時40分から午前3時までの放送に短縮、半年後の1985年10月改編で土・日の放送を終了している。

番組コンセプト

男性アナと女性タレント

朝日放送(ABC)の若手アナウンサーと女性タレントの2人1組をパーソナリティに起用して、毎晩(土・日曜含む)23時台-翌朝午前3時にかけて放送された。選曲のジャンルは多岐に亘り、受験生が主要なターゲットであったが、深夜に働く大人も意識し、ポップスと交互に歌謡曲なども多く放送された[2][6]

初代の男性パーソナリティーは、道上洋三辻豊人因田宏紀の3名が日替わりで担当した。以来1960年代後半から1980年代前半にかけて入社した同局の男性アナウンサーのほとんどがヤンリクを経験し、ここにフリーの女性アナウンサー・タレントが加わり、男女2名で進行した。在阪他局の深夜番組がお笑いタレントやミュージシャンなどで出演者を構成するなか、若手男性アナウンサーと若手女性パーソナリティの組み合わせでの放送は、番組終了まで続けられた[2]

なお、夏の全国高等学校野球選手権大会の開催期間中、朝日放送では全試合の中継をテレビ・ラジオ各々で終日行っており、加えて、プロ野球中継もあることから男性アナウンサーが払底することがあり、このときに限っては女性アナウンサー2人、または女性アナウンサーと女性タレント各1名という暫定的な放送が行われることがあった。

このような、アナウンサーとタレントの組み合わせのMCの体裁はその後のABC‐Rの深夜番組でも踏襲されている。

プレゼント

当番組には、「はがきで当てよう!!車と1万円」というキャッチコピーが付いていた。そのため、リスナーから寄せられたはがきを1ヶ月間保存し、月末に抽選。日産自動車(後にいすゞ自動車)提供の自動車と賞金1万円が各1名ずつプレゼントされた。なお現金1万円のプレゼント人数は徐々に増え「車と1万円×3」を謳った時期を経て、番組末期は「車と6万円」と、1万円の賞金が6人に増えた。

また番組では、ノベルティグッズとして、シャープペンシル、ノート、カセットテープ、ステッカー、スポーツバッグ、オルゴールなどを製作[7]。ステッカーなどには、魚を模したキャラクターの"オトト"が入っていた。また、「ホロホロコーナー」では、星座別スプーンをリスナーに進呈。一部の商品は、大阪タワー(当時の朝日放送本社敷地内にあった電波塔)の売店で販売された。1970年6月20日から数年間は、番組の公式小冊子として「ヤンリクメイツ」を定期的に刊行していた[1]

「一山の石炭より一粒のダイヤモンド」

当番組では、リクエスト曲とリスナーを尊重する立場から、歴代のプロデューサーがその時々のパーソナリティに下記のようなルールを課してきた。

  • 「一山の石炭より一粒のダイヤモンド」(放送中には、たくさんの言葉であれこれ喋るより、少しであっても気の利いた言葉を喋ること。当番組のスローガンでもあり、ラジオ制作部の壁にも貼られていた[1]。)
  • 放送する楽曲を、パーソナリティ自身のセンスや独断で選ばないこと。
  • 番組に送られてきたハガキには、リクエスト曲だけを書いている場合を除いて、担当のパーソナリティが放送前にすべて目を通すこと。
  • 放送中にリスナーからのハガキを読む際には、発送元の住所を基準に、大阪市内→大阪府内→関西地方の他府県→その他の地方の順で紹介すること[8]
  • 放送中にリスナーや歌手の名前を紹介する際には、必ず最後に「さん」を付けること。

ABCのアナウンサーをパーソナリティに起用する際には、アナウンス部から推薦された若手アナウンサーに対して、局内で厳しいオーディションを実施。パーソナリティとして出演できるようになるまで、オーディションを数回経験させられたアナウンサーもいたという[2][9]。当番組が穏和で折り目正しい雰囲気を保っていたのは、パーソナリティのキャラクター・話術に加えて、このような制作サイドの姿勢によるところも大きい。

コーナー

リスナーからのリクエストはがきの合計でヒットチャートを毎晩決定する「ヤンリク・ベスト20」の他、パーソナリティーの個性を生かしたコーナー「ヤンリク・おもちゃ箱」(後に「らくがき帳」「トライアルスポット」)、「ベストセブン情報」[10]などがあった。

この他、タレントが出演するコーナーとしては以下のものがあった。

  • 朝日新聞ニュース・天気予報(0時台=放送日付上の最終版、のちに22時開始の際には23時台も)
  • ABCミッドナイト寄席
    落語や漫才などの演芸コーナー。東阪企画社長などを務めた朝日放送OB澤田隆治が在職中から構築し独立後後輩社員が引き継いだ『ABC落語ライブラリー』を利用する貴重なコーナーで、『ABC上方落語をきく会』の演目が放送されることもあった。1971年(昭和46年)11月11日にはこのコーナーの超拡大版ともいえる『1080分落語会』が放送され伝説的興行となる程の成功を収めた。
    当番組終了後平成に入ってからも『ウシミツリクエストABC』『ABC発午前1時』で復活(いずれも放送終了)。現在は日曜日朝に独立番組『日曜落語 〜なみはや亭〜』として放送されている。
  • 仁鶴・頭のマッサージ
    笑福亭仁鶴がさまざまな聴取者からの投稿を紹介。猛スピードで紹介し、リアクションする語り口が話題を呼んだ。なお、コーナー開始当初は生放送だったが、仁鶴の人気が上がり、録音コーナーとなった。なお仁鶴出演の番組内コーナーには「仁鶴のふるさと昔話」「仁鶴のヤンリク土曜アラカルト」(ともに1978年頃)もあった。1992年(平成4年)1月1日発売の嘉門達夫のアルバム『天賦の才能』の1曲目「アカペラな夜」には本コーナーの一部が収録されている。
    1973年には自由国民社より「仁鶴の頭のマッサージ」 [11]と題した書籍(仁鶴・番組スタッフ共著編)が発売された。
  • ミキサー完備 スタジオ貸します
    番組のテーマ曲を作曲したキダ・タローが出演する、アマチュアミュージシャンの演奏コーナー[12]。出場ミュージシャンの学校や職場の仲間、肉親を第1スタジオに招いた公開生放送のスタイルで、キダの辛辣な審査コメントが人気となる。
    番組開始当初はキリンビールの協賛で「キリン・ヤングスタジオ」という冠が付き、そこで月間賞に選ばれるとキリンレモン瓶入り1ケースが贈られたほか、セイコーが協賛し「セイコー・ヤングスタジオ」という冠をつけたこともあった。なお、このコーナーには河島英五庄野真代らがデビュー前に出演した。
    このような体裁は、のちにABCテレビの土曜日夕方17時から18時に関西ローカルで生放送された『ヤングプラザ』でもキダが審査員・MCを務めたコーナー(タイトル不明)があったほか、1990年代末には「キダ・タローのステージ貸します」としてリバイバルされた。
  • 心の旅 遠くへ行きたい
    青春の悩みや夢など、真摯な投稿と詩の朗読をするコーナー。メインの出演者である「謎のおじさん」は高尾元通(当時朝日放送アナウンサー。後にアナウンス部長を経て同局解説委員)。アシスタントは川田恵子、後に小菅文代が担当。なお「謎のおじさん」の正体は、番組の最終回で披露された[2]
  • ホロホロコーナー
    占星術師・香月星苑監修による占いコーナー。番組終了後も後継番組『乾龍介のホットポイント』の中で「ホロスコープ・ホットポイント」として継続した。『ウシミツリクエスト』でも、「ウシミツほろほろコーナー」として放送している。
  • ヤンリク・ラジオキッチュ
    「心の旅」の終了を受けて、1985年(昭和60年)4月に放送を開始。文化人などのモノマネで注目を浴びたキッチュ(後の松尾貴史)による、投稿やミニコントのコーナー。アシスタントは牧野エミ。なお「心の旅」「ラジオキッチュ」は花王石鹸(現:花王)の提供で、1984年10月までは本番組内で同じく花王提供の『青春キャンパス』(文化放送制作)もネット受けしていた。
  • ヤンリク共和国
    月亭八方と桂べかこ(現在の3代目桂南光)が日替わりで担当するフリートーク中心のコーナー。
  • たむたむたいむ
    ニッポン放送を幹事局として、本編を朝日放送で制作した企画ネット番組。現役の女子大生などが日替わりで担当。パピヨンズ松竹芸能所属の漫才コンビ)の「ちよこ」(旧芸名「ミヤ蝶子」)が、四天の青田赤道として芸能界へのデビュー前に出演したことがある。
  • 浜村淳のミッドナイトブレイク
    浜村得意の映画の話題を始め、地理、歴史、アニメに至るまで、色々な話題を掘り下げるトーク。リスナーからの疑問・質問にも答えていた[13]
  • 命を賭けてる60秒
    在阪の各レコード会社プロモーターが出演し、自分の担当するレコードを60秒(1分)以内で宣伝するコーナー[13][12]
  • 谷まさるのファン・ファン・アラモード[12][10]
    谷が設立した大阪モード学園の単独提供コーナー。歴代CMのBGMには、クインシー・ジョーンズソウル・ボサノバが使用された。
  • ABC発午前2時○○分“心の旅”
    タイトル通り、午前2時過ぎから放送。リスナーからの、心温まる身近な出来事などを綴った内容のはがきを紹介[13]
  • イーデス・ハンソンのひと口英語
  • ヤンリクお笑い最前線
    漫才ブームさなかの1981年スタート。収録は毎週一回、7組ほどが出演し、客を入れて公開収録の形で放送。紳助・竜介ザ・ぼんちB&B春やすこ・けいこ今いくよ・くるよなど当時の人気漫才師も多く出演していた[10]
  • ホットレポートこちらLA
    横井くにえロサンゼルスから、アメリカの若者の生活や流行などについてリポート[12][10]
  • ヤンリク・クイズ
    本番組末期の1986年当時には三つのクイズパートが設けられていた。それぞれ、答えをはがきに書いて応募[14]
    『クイズ・ゴングでクイズ』- 音楽クイズと一般常識クイズ。音楽クイズの答えは主にイントロまたは曲の途中を聴いてタイトルを解答。一般常識クイズも歴史や雑学、その日の出来事などから出題。毎日1万円が3人に当たる。
    『午前0時のキーワード』- 発表されるキーワードを書いて応募。毎日1万円が1人に当たる。
    『ヤンリククイズ』- 雑学など、知識を問う三択クイズ。午前2時40分頃に実施。毎日1万円が2人に当たる。
    このコーナーで毎日、1万円が合計6人に当たるようになっていたので、これが末期のキャッチコピーである「はがきで当てよう!!車と6万円」の所以である[14]

テーマソング

「星があなたにささやく夜も 小窓に雨が降る夜も…」の歌詞で知られるテーマソング(キダ作曲)は、その当時の人気歌手が歌っていた。担当した歌手は以下の通り[15]

  • 奥村チヨ(1966年4月 - 1971年3月)
  • 岡本リサ(1971年4月 - 1979年7月)
  • ふたつのさくらンぼ(1979年8月 - 1980年4月 ディスコヴァージョンにアレンジ)
  • 松原みき(1980年5月 - 1980年9月)
  • 岩崎良美(1980年10月 - 1983年9月)
  • 桑田靖子(1983年10月 - 1984年4月)
  • ラブポーション(1984年5月 - 1986年10月 現在も中村貴子がタレント、音楽ライターとして活動)

当初、テーマ曲の歌詞は東京在住の高名な作詞家2人に依頼した。しかし、番組開始の昭和40年代は、東京と大阪の色の違いが激しく、発注した番組プロデューサー・今田昭にはしっくりこなかった。しかし、何度か修正を依頼しているうちに、放送開始日が迫ってきてしまい、今田自身が自ら作詞をした。今田本人によると、この詞による曲は最初は仮のもので、1 - 2週流した後で改めてプロの作詞家に依頼するつもりだったという[15]

なお、このメロディーは、2000年代になって朝日放送の携帯用ウェブサイトからダウンロードできるようになった。また、当番組でパーソナリティを務めた元アナウンサーが週替わりで出演した『Club JONR』(ABCラジオの深夜番組、2009年10月10日2011年10月1日まで放送)では、奥村が歌ったテーマ曲が当時のオープニングコールとともに番組の途中(午前3時台)で流れた。

同じく、キダが作曲をした、関西テレビ放送のクイズ番組『花の新婚!カンピューター作戦』のテーマソングと酷似する箇所があった。

リスナーとの交流企画

当番組では、楽曲のリクエストを主体に放送していた関係で、『MBSヤングタウン』などの深夜番組に比べてリスナーによる投稿コーナー(いわゆる「ネタコーナー」)が限られていた。その一方で、リスナーとの交流企画を随時実施。主に行われた企画は以下の通り。

交流企画は主に週末を使っての企画だったため、全ての曜日で放送していた時期には、土・日曜担当のパーソナリティがスタジオで「お留守番」をすることが多かったという[17][1]

ヤンリク担当のアナウンサーによる生での放送終了アナウンス

1983年10月2日までは、当番組がABCラジオにおける1日の最終番組であった[18]

その為、番組終了の午前3時を過ぎると放送終了アナウンス「今夜も遅くまで朝日放送をお聴き下さいましてありがとうございます。この後、暫く放送をお休みいたしまして、早朝放送は5時からお送りします。ABC・朝日放送が1010kHz(1978年11月23日[19]より1008kHz)、50kWで大阪からお送りいたしました。JONR(2回繰り返し)、どちら様もお休みなさい…(この箇所は省略される場合もあった)」のコメントを男性アナウンサーが生放送でコメントし、その後オルゴール[20]の音色で放送を締めくくった[21]

なお、1983年9月までは午前3時終了とはなっていたものの、その後の番組がなかったこと、また、プロ野球シーズンのナイター中継の試合時間による延長によっての後続番組の放送時間開始の遅延があった事、放送終了アナウンスが生放送であったことから、融通を利かせた放送編成であった。午前3時前から流していたレコード音楽は時報を過ぎても最後まで流すなど、予定されたレコードの数が多すぎて午前3時までに終わらないときや、ナイター中継の延長により後続番組の放送時間開始の遅延があった場合は、10分・20分と更に終夜放送までと放送終了時間を現場裁量で伸ばしていた。

その一方で、ABCテレビでは当番組の放送期間中に、緊急時を除いて24時間放送体制を採っていなかった。当番組よりも早い時間帯にテレビ放送を終えていた時期には、定時放送終了の間際に、「この後はABCラジオ(1008kHz)でお聴き下さい」という字幕とクロージング映像に続いて「ヤンリク」のテーマ曲などをBGMに当番組(後期は『もうすぐ夜明けABC』と合わせて)のCMを静止画で流していた。

番組終了とその後

1983年頃から番組に陰りが見え始める。1984年には10時スタートとし、5時間の超ワイド編成となった。

コーナーのテコ入れ、プレゼントもリニューアルを図ったが、マンネリ化していた事と番組も20年間を全うした事、そして当時の編成局長による「番組の活力がまだ十分ある内にこそ、ゆとりを持った新しい番組を開発しなければならない」といった理由もあり[22]1986年(昭和61年)10月3日の放送をもって終了した。なお、最終日のパーソナリティは、石原勝アナウンサー(当時)と阪口佳澄であった[23]

最終回

最終回には歴代のパーソナリティー・レギュラー出演者らを迎え、朝日放送ラジオ第1スタジオに50人の聴取者を招き、約40人の歴代パーソナリティも駆け付け(その中には後番組『ABCラジオジラ』のパーソナリティの円広志らもいた)「ヤンリクお別れ大放送」のタイトルで、午後10時から午前5時まで7時間放送された。オープニングはテーマ曲をスタジオに居る全員で合唱[2]。前日の放送で発表された「20年6ヶ月のベスト20発表」に続き、同年1月からのリクエストランキングを発表する「1986年のベスト20」のほか、OBアナウンサーが3部構成で担当する「懐かしのパーソナリティー」では、道上洋三、金木賢一乾龍介のアナウンサーがそれぞれ進行役となり、思い出やエピソードを語り合った。

また、すでに終了したコーナーの出演者も登場。「仁鶴・頭のマッサージ」のコーナーには、当時の仁鶴をよく知る村井守(元アナウンサー)がエピソードを語ったほか、この日は小田寿一浜田晶子が進行役を務めた「ミキサー完備・スタジオ貸します」のコーナー[2]は、キダ・タローの他、当時一般出演者として番組に参加したタレント・土谷多恵子がその時の同録テープを持参して登場。「心の旅・遠くへ行きたい」では「謎のおじさん」の正体が明かされた。

この他「ヤンリク・ラジオキッチュ」「ヤンリク共和国」の出演者も登場。番組後半では、ヤンリク生みの親・今田昭(番組終了時は朝日放送事業局次長)も初めてマイクに前に姿を現した[2]。また、イギリス・BBCに出向中のヤンリクOBアナウンサー・長沢彰彦からの国際電話も入った[2]。また、翌朝に放送された同局のTV番組『おはよう朝日です』のカメラが入ったほか、雑誌「ラジオパラダイス」(三才ブックス)がカラーグラビア3ページに渡って、最終回の模様を取り上げた。

エンディング前は番組の原点に戻り、リクエスト曲とメッセージの紹介を行い、ラストナンバーとして、森山良子の「今日の日はさようなら」を紹介。ラストナンバーに合わせて、石原勝がエンディングコメント。「どうか、ヤンリクの青春の1ページが皆さんの心の片隅に生き続けていきますように」の言葉で締めくくった。エンディングテーマを出演者・会場のリスナー全員で歌い、20年6ヶ月の放送に終止符を打った。放送終了後にはスタッフの胴上げも行われた[2]

放送終了後

ABCラジオでは、当番組の終了後も、月~金曜日の同時間帯に自社制作の生放送番組を次々と編成。当番組のコーナー企画の一部(「ホロホロコーナー」「命を懸けてる60秒」「ミッドナイト寄席」など)は、後に『ウシミツリクエストABC』で復活した。

しかし、1991年10月から放送されてきた帯番組『ABCミュージックパラダイス』が、2009年7月の番組改編で終了。同月以降は、月-木曜日は在京キー局(翌日1:00まで当初ニッポン放送→のちに文化放送、1:00-3:00はTBSラジオ=金曜深夜=土曜未明も含む)製作のワイド番組の同時ネットに充当し、金曜日のみ事実上の後継番組『ミューパラ アグレッシブ』(金曜のみ放送)が、2012年6月29日の放送終了まで当番組の系譜を辛うじてつないでいた。その後、同7月から『ガチ・キン』という音楽と人生相談の番組が放送されている。

2014年4月改編から、当番組を放送していた時間帯の編成方針を一新し、上記の在京局制作番組の同時ネットに充てていた月 - 木曜日の22:00 - (翌日)1:00に『よなよな…』、火 - 土曜未明1:00-3:00(月 - 金曜深夜)に『夜は、おととも』(いずれもABCの自社制作による生放送番組)を編成している。その後、『よなよな…』の終了に伴い、2021年10月改編から、『ミューパラ』の第2期の生放送が開始(金曜日は事実上『ショータイムレディオ』と統合)され、ヤンリクとほぼ同じアナウンサーとタレントらの組み合わせで、22:00-(翌日の)0:30まで生放送されている。

また、深夜枠は、1983年10月の24時間終日放送の開始と同時に開始された『もうすぐ夜明けABC』(基本3・4時台。上述の通り、一時期1・2時台に『ABC発午前1時』、『夜は、おととも』として放送したこともあった)→『with you』といった特定の女性パーソナリティーが日替わりでDJを務める音楽番組が38年にわたり放送されていたが、2021年10月改編でDJ進行型を事実上終了し、1:30-4:15(金・土曜深夜に当たる土・日未明は3:00開始)には、ノントークで音楽を延々と流しまくる事実上のフィラー番組である『R→933』が放送されている。

復活放送

1990年代後半には、当番組でパーソナリティを務めた中原秀一郎が、『青春プレイバック・秀さんのヤンリク時代』(平日11:00~11:45、1996年4月1日1997年12月31日放送)と題した番組を担当。当番組が放送された1960~80年代の楽曲のリクエストを中心に放送した。

また、1990年3月の朝日放送創立40周年記念日、2000年11月の開局50周年記念日にそれぞれ放送された特別番組の中でも、当番組がスペシャル企画として復活。1990年には道上、2000年には金木賢一(当時役員室勤務)がメインパーソナリティーを務めた。

ちなみに、前述の『Club JONR』には、当番組のパーソナリティ経験者から嶋田崇彦、金木、成宮恒雄西野義和、中原、石原が週替わりで登場(出演順、いずれも元アナウンサー)。道上をナビゲーターとして、当番組の裏話や思い出の楽曲を放送した。

2010年11月13日には、ABCラジオ開局60周年記念として特別番組が放送され、番組コーナーの一環として当番組がスペシャル企画として復活した。道上がパーソナリティを務めたバージョンと、和沙哲郎阪口佳澄[24]がパーソナリティを務めたバージョンの2本が放送された。さらには道上の最終担当日(1974年8月29日)の音源も流れた。また出演者が番組の思い出を語り合うコーナーも放送され、道上と同時期にパーソナリティを務めそれをきっかけに結婚した熊谷瞭子も電話出演した。

CDボックス「ABCヤングリクエスト フォーエバー」

朝日放送では2014年3月16日から、レギュラー放送時代の音源を5枚組のCDに収めたCDボックス「ABCヤングリクエスト フォーエバー」を、電話および自社直営のショッピングサイト「ABCかうも。」で発売している。

この商品は、学生時代に当番組でアルバイトを務めたことをきっかけに朝日放送へ入社した川崎宏(元・同局ラジオ編成局長、現在は関連会社のエー・ビー・シーメディアコム社長)が、「紐解くと若返る『逆・玉手箱』」というコンセプトの下に企画。当番組を放送していた朝日放送旧社屋(現在は解体)の付近にある専門学校「HAL大阪」の学生が、ジャケットのデザインを担当している。

またCDには、当番組のリクエストで特に人気を博した楽曲や、当番組から誕生した楽曲を収録。以下のパーソナリティ・アシスタントコンビで生放送風に再録した収録曲の紹介・放送終了のアナウンス、歴代のオープニングテーマ(岡本リサおよび奥村チヨバージョン)の音源、「きこうABC」(往年のABCラジオステーションソング)のインストゥルメントバージョンの音源も収められている。

「ABCヤングリクエスト フォーエバーコンサート」

「ヤンリク世代の同窓会」というコンセプトで、2015年3月7日土曜日)・8日日曜日)にABCホール(大阪市福島区にある現在の朝日放送本社社屋に併設)で開催した全席自由の有料コンサート[25]。両日とも、キダ・タローをゲストに迎えるとともに、田中ゆみ(元・シモンズ)によるスペシャルライブを組みこんでいた。

また、当番組でのパーソナリティ経験を持つ以下の人物が、「DJ」という肩書で進行役を担当。当番組の雰囲気を再現すべく、観客からのリクエストカードを基に楽曲を流す企画なども実施した。

なお、ABCラジオでは2015年3月15日日曜日)の16:00 - 17:00に、コンサートのダイジェストを中心に構成した特別番組『ABCヤングリクエストフォーエバー』を乾の進行で放送した。

担当パーソナリティ

期間月曜日火曜日水曜日木曜日金曜日土曜日日曜日
1973年10月1974年09月金木賢一叶桂子乾龍介荻野恵子道上洋三中田千恵子道上洋三森重貴美子長沢彰彦西田久子長沢彰彦藤田千代美金木賢一石川千加子
1974年10月1975年03月内海道子西田久子乾龍介坂井千恵子成宮恒雄叶桂子本村三和子成尾和恵
1975年04月1975年09月成尾和恵山本清久林伸一郎兼田正広成宮恒雄内海道子道上洋三
1975年10月1976年03月本村三和子石川洋子西田久子
1976年04月1976年09月太田元治西田久子坂井千恵子叶桂子山本清久
1976年10月1977年03月阿部京子石川洋子成尾和恵
1977年04月1978年09月岡嶋由美子坂井千恵子兼田正広阿部京子林伸一郎本村三和子石川千加子叶桂子
1978年10月1979年03月西野義和叶桂子阿部京子坂井千恵子高野五十鈴野村晃子和沙哲郎中原秀一郎成尾和恵
1979年04月1979年09月長沢彰彦野村晃子武 周雄太田元治阿部京子中原秀一郎成尾和恵林伸一郎高野五十鈴
1979年10月1980年03月金木賢一寺本富士子成尾和恵西野義和阪口佳澄武 周雄叶桂子
1980年04月1980年09月石原勝叶桂子阪口佳澄
1980年10月1981年03月西野義和高野五十鈴金木賢一久本有香三島栄実子
1981年04月1981年09月和沙哲郎阿部京子太田元治成尾和恵武 周雄中原秀一郎
1981年10月1982年03月金木賢一中原秀一郎大岩堅一
1982年04月1983年03月太田元治成尾和恵藤原正美戸石伸泰楠淳生阪口佳澄久本有香高野五十鈴金木賢一
1983年04月1983年09月大岩堅一松平けい子楠淳生高塚徹彦三島栄実子戸石伸泰小田寿一阿部京子大塚展生丸子由美
1983年10月1984年03月豊田記子石原勝戸石伸泰林真美
1984年04月1984年09月金木賢一林真美戸石伸泰石原勝阪口佳澄小田寿一三島栄実子大岩堅一福本明美楠淳生大石嘉子高塚徹彦豊田記子
1984年10月1985年03月三島栄実子楠淳生浜田晶子高塚徹彦豊田記子大岩堅一福本明美小田寿一林真美
1985年04月1985年09月小田寿一浜田晶子林真美大岩堅一高塚徹彦大石嘉子高柳謙一三島栄実子
1985年10月1986年03月大岩堅一林真美石原勝阪口佳澄高柳謙一(別番組)(別番組)
1986年04月1986年10月高柳謙一豊田記子伊藤史隆藤原正美石原勝阪口佳澄

歴代男性パーソナリティ

歴代女性パーソナリティ

  • 奉日本たかもと清子 (初代パーソナリティの一人[2]。1967年10月当時、金曜 など)
  • 須郷制子 (1967年当時、火曜 など)
  • 吉見佑子 (1968年当時、木曜 など)
  • 石川洋子
  • 八木文子 (1967年当時、金曜 など)
  • 仲山夕起子 (1967年当時、日曜 など)
  • 西村得子(1967年当時、月曜 など。現在は東明総研にて手相師として活躍中)
  • 西村一美(1967年10月から火曜、など)
  • 熊谷瞭子(当番組での共演が縁で道上と結婚)
  • 桜井一枝
  • 内海道子
  • 荻野恵子
  • 森重貴美子
  • 叶桂子(2009年10月31日放送の『Club JONR』にゲスト出演)
  • 室和子
  • 藤田千代美
  • 石川千加子
  • 末広真樹子
  • 坂井千恵子
  • 阿部京子

朝日放送がテレビ・ラジオ放送事業の分社体制へ移行した初年度(2018年度)時点で、当番組の歴代男性パーソナリティのうち、朝日放送 → 朝日放送テレビで一貫してアナウンサーを続けているのは伊藤のみである(2022年度中に朝日放送グループの定年=60歳へ到達)。

当番組の降板後に朝日放送報道局へ異動した戸石は、定年退職後の2017年度から2021年12月まで、嘱託扱いの「シニアスタッフ」としてアナウンサーとしての活動を再開。楠のように、定年退職後もフリーアナウンサーとして、朝日放送(ラジオ)の番組にレギュラーで出演するパーソナリティもいる(いずれも2022年4月改編時点)。

和沙と阪口は、同じ時期に当番組のパーソナリティを務めたことが縁で結婚に至ったが、当番組での共演は1回にとどまった(和沙が阪口担当の曜日にパーソナリティ代理で出演)。

関連項目

脚注

  1. 朝日放送の50年(朝日放送社史編修室 編、2000年)II 番組おもしろ史 p.128 - 133
  2. 月刊ラジオパラダイス 1986年12月号 p.99 - 101「20年の歴史に幕。FOREVER!・ABCヤングリクエスト」
  3. 朝日放送の50年(朝日放送社史編修室 編、2000年)III 資料集 p.298
  4. 朝日放送の50年(朝日放送社史編修室 編、2000年)III 資料集 p.112
  5. ラジオパラダイス 1987年4月号特集「深夜放送20周年ぐらふぃてぃ」p.23
  6. 当番組が放送された時代には、道勇嘉彦(朝日放送にアナウンサーとして入社、現在は同局報道情報局専任部長)のように、当番組のヘビーリスナーから放送業界に転じる若者が少なからずいた。番組後期のパーソナリティには、西野や石原のように、学生時代に当番組を聴いていたアナウンサーが起用されることもあった。
  7. 電話機の保留用で、当番組のテーマソングが流れる仕組みだった。
  8. 西野がパーソナリティを務めていた1978年頃には、発送元の町名・丁目の読み方まで細かく決められていたという。
  9. いずれも、当番組のパーソナリティを務めた金木や西野が、『Club JONR』へ出演した際に証言。男性アナウンサーの場合には、オーディションでの評価を最も優先したため、入社1年目の秋から当番組に出演できるとは限らなかった。ちなみに、金木は2年目、西野は4年目で初めてパーソナリティを務めた。
  10. 明星集英社)1981年7月号 p.172 - 173「MYOJO PAPER RADIO」
  11. amazon.co.jp「仁鶴の頭のマッサージ」
  12. ラジオライフ(三才ブックス)1981年3月号 p.99 - p.100
  13. 明星集英社)1979年11月号 p.124 - 125「ラジオDJ広場」
  14. ラジオパラダイス 1986年4月号特集「100万円争奪!!ラジオクイズ必勝法」p.24
  15. 月刊ラジオパラダイス 1986年12月号 p.93
  16. 朝日放送の50年(朝日放送社史編修室 編、2000年)I 本史 p.166
  17. かつて土曜日のパーソナリティだった成宮が、2009年10月31日放送の『Club JONR』に出演した際の証言より。富士山へのバスツアーでは、夕方に朝日放送本社(当時は大阪市大淀区)前を出発してから車中で1泊。翌日の早朝に、富士山の7合目から山頂へ登る趣向であった。平日に登頂を試みる場合には、ツアーに同行したアナウンサーが、『おはようパーソナリティ道上洋三です』の生放送中に7合目から中継リポートを送ることもあった。
  18. 当時、土曜深夜も午前3時半で放送終了。10月になると『もうすぐ夜明けABC』がスタートし、日曜深夜を除いて終日24時間放送に移行する。ただし、日曜日は定期メンテナンスの実施のため、引き続き月曜未明3:00で放送終了、5:00まで休止となっていた
  19. 実際の放送では同日午前5時から試験放送・9時01分から本放送であるため、同24日未明
  20. 別名・チンコロカン キダ・タローが作詞・作曲したABCのステーションソング「きこうABC」をアレンジしたもの。
  21. なお、オルゴールは、2022年9月現在も月曜日未明=日曜深夜の放送終了アナウンスの後に流れている(ヤンリクの放送終了後は事前に収録したものを放送している)。
  22. 社史「朝日放送の50年」より
  23. 最終日の日付を含めて、2009年11月21日放送の『Club JONR』で石原が証言。
  24. 和沙と阪口は同時期にパーソナリティを務めていたが担当曜日が異なり、2人のコンビで進行したのは他担当者の都合で和沙が阪口担当の曜日にかわりに1度務めただけだったという。
  25. ABCヤングリクエスト フォーエバーコンサート
  26. おはようパーソナリティ道上洋三です』2007年11月19日の放送より。平松は、大学卒業後にアナウンサーとして毎日放送へ入社。その後退社して、放送前日に投開票の大阪市長選挙で初当選を果たした。

外部リンク

「ABC かうも。」 CDボックス『ABCヤングリクエスト フォーエバー』

ABCラジオ 月~金 22時台 枠(1984.10~1986.10)
前番組 番組名 次番組
鏡宏一 ABCナイトQ
(21:05~22:30)
青春キャンパス
(22:30~23:00)
(1984年10月から本番組に内包)
ABCヤングリクエスト
(22:00~27:00)
ABCラジオ 月~金 23時台~26時台 枠(1966.4~1986.10)
あなたとデイト (23:10~23:20)
レコード・フェスティバル (23:20~23:50)
映画を聞こう (23:50~24:00)
夜の歌謡曲 (24:00~24:15)
ラテン・プリズム (24:15~24:45)
コンサート (25:00~26:00)
他1本
ABCヤングリクエスト
(23:00~26:00 → 23:00~27:00)
乾龍介のホットポイント
(21:10~23:30)
ABCラジオジラ
(23:30~27:00)
ABCラジオ 土曜 23:00~24:40 枠(1966.4~1985.4)
あなたとデイト (23:10~23:20)
レコード・フェスティバル (23:20~23:50)
映画を聞こう (23:50~24:00)
夜の名曲 (24:00~24:15)
ラテン・プリズム (24:15~24:45)
ABCヤングリクエスト
(23:00~26:00 → 23:00~27:00)
ライブオン!少年隊
ニッポン放送制作、
23:05~23:35)
今夜もHOT'N HOT
(23:35~24:35)
ABCラジオ 土曜 24:40~27:00 枠(1966.4~1985.10)
コンサート
(25:00~26:00)
他1本
ABCヤングリクエスト
(23:00~26:00 → 23:00~27:00)
ラジオキッチュ
(24:40~24:50)
ホットレポートこちらLA
(24:50~25:00)
ユーミンのおしゃまします
TBSラジオ制作、
25:05~25:35)
ケンケン・クッスの
☆☆倶楽部 THE GANG

(25:35~27:00)
ABCラジオ 日曜 23:00~24:40 枠(1967.4~1985.4)
ラテン・プリズム
(24:15~24:45)
他3本
ABCヤングリクエスト
(23:00~26:00 → 23:00~27:00)
SUPER ME HER
さんまのアイドル丸かじり

ニッポン放送制作、
23:05~23:35)
バラエティスクール
風見慎吾のミンミンゼミナール
文化放送制作、
23:35~24:05)
世良公則
ちょっといかした005
(24:05~24:35)
ABCラジオ 日曜 24:40~27:00 枠(1967.4~1985.10)
にほんのうた
(24:45~26:00)
ABCヤングリクエスト
(23:00~26:00 → 23:00~27:00)
ラジオキッチュ
(24:40~24:50)
ホットレポートこちらLA
(24:50~25:00)
タローのミッドナイト編集局
(25:00~27:00)
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