青年日本の歌
青年日本の歌(せいねんにほんのうた)または昭和維新の歌(しょうわいしんのうた)は、1930年に作られた日本の歌曲[1]。作者は海軍中尉で、後の五・一五事件に関与した三上卓である[2]。歌詞中の詩句の多くは土井晩翠と大川周明の著作から剽窃、無断引用されている[3]。
概要
歌詞の内容は「国家改造」すなわち政界の元老、権臣や財閥などの排除を主張し、濃厚な軍国主義の色彩を帯びており、また、当時の日本社会の経済や貧富の格差の状況をある程度反映している[4][5]。発表以来、日本中に人気が出てきたが、1936年禁止となった。歌詞が暴力を煽って、昭和天皇の不満を招いたことが原因とされる[6]。
歌詞冒頭の「汨羅」は、屈原が国を憂いて投身した汨羅江であり、これに続く「巫山の雲」とは、一般に男女の契り、すなわち性行為を表す慣用句である。
歌詞
汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ 権門上に傲れども ああ人栄え国亡ぶ 昭和維新の春の空 古びし死骸乗り越えて 天の怒りか地の声か 見よ九天の雲は垂れ あゝうらぶれし天地の 功名何ぞ夢の跡 やめよ離騒の一悲曲 |
脚注
- 「①「青年日本の歌」(昭和維新の歌)が載っている資料がみたい。②この歌を作った「三上卓」について書かれ...」 - レファレンス協同データベース - 2021年10月24日閲覧。
- Ben-Ami Shillony. Revolt in Japan: The Young Officers and the February 26, 1936 Incident[M]. Princeton, New Jersey: Princeton University Press, 2015. 20-21
- “青年日本の歌(昭和維新の歌)”. gunka.sakura.ne.jp. 2018年5月12日閲覧。
- “历史上的今天:2月26日《昭和维新之歌》” (中国語). 观察者 (2013年2月26日). 2017年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月27日閲覧。
- “「功名いづれ夢のあと 消えざるものはただ誠」”. チャンネル桜 (2010年10月9日). 2017年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年5月27日閲覧。
- 北京电视台卫视节目中心《档案》栏目组. 绝密档案背后的传奇(二)[M]. 北京:中共党史出版社, 2010. 263-263
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