雨森清貞
雨森 清貞(あめのもり きよさだ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。浅井氏の家臣。通称である弥兵衛尉(やひょうえのじょう)[1]の名で知られる。近江国伊香郡雨森城主。
凡例 雨森清貞 | |
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 通称:弥兵衛尉 |
主君 | 浅井久政→長政 |
氏族 | 雨森氏 |
生涯
近江国伊香郡雨森の出身で、浅井氏の旗頭を務めた[1]。また、天文13年(1544年)には奏者として浅井久政の書状に名前があり、ことに久政には重用されていたという[1]。各地の合戦で活躍していたようだが、清貞に関する資料が少なく詳しい事績はよくわかっていない。最後まで浅井長政に従い、1573年の小谷城の戦いで奮戦して、長政から感謝状を貰ったとされる。しかし、浅井氏は滅亡し、清貞も討ち死し、または逃亡したとも伝わる。なお、羽柴秀吉に仕えた雨森清兵衛は、同一人物とも言われるが、不明である。また、この清貞の名も確定的なものではなく、本当に「清貞」と名乗っていたかは不明である。海北綱親・赤尾清綱・雨森清貞の三将の頭文字を取って「海赤雨の三将」と総称された。
脚注
- 山本大・小和田哲男『戦国大名家臣団事典 西国編』新人物往来社、1981年8月25日、83頁。ISBN 9784404010766。
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