隆崇院 (恵那市)

晴雲山 隆崇院(りゅうそういん)は、岐阜県恵那市岩村町1450にある浄土宗の寺院。恵那市指定史跡の石室千体仏は隆崇院が管理している。

隆崇院
所在地 岐阜県恵那市岩村町1450
位置 北緯35度22分11.0秒 東経137度26分17.1秒
山号 晴雲山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 正保3年(1646年
開山 転入和尚
開基 松平乗寿
法人番号 1200005009494
隆崇院の位置(岐阜県内)
隆崇院
隆崇院
隆崇院 (岐阜県)

歴史

晴雲山 隆崇院は、岩村藩初代藩主の松平家乗の娘で知久直政に嫁いで寛永9年(1632年)に没した隆崇院殿晴雲貞受大姉から名付けられた。

慶長6年(1601年)松平家乗は上野国那波藩から岩村藩に転封となると、岩村城近くの山麓に久翁山 龍厳寺を建立した。

慶長19年(1614年)家乗が没すると、龍厳寺内の墓地に埋葬されたが、寛永15年(1638年)、2代藩主の松平乗寿浜松藩へ転封となると龍厳寺は廃されて、その旧閣に、次に岩村藩主となった丹羽氏信が菩提寺の大椿山 妙仙寺を移した。

家乗の墓守として龍厳寺の塔頭に住んでいた僧が、引き続き庵を建てて住んでいたが、正保3年(1646年)に浜松藩からさらに館林藩に転封となった松平乗寿が父の家乗の三十三回忌の法要を営むにあたり、落合村高福寺転入和尚を迎えて、この庵を改めて晴雲山 隆崇院として開山した。

その後も拡張され安政7年(1860年)の頃には惣門があり、高塀が二十四間も続いていたという。しかし慶応年間に寺域を取り払い本堂を大通寺観音堂へ移転した。

また現在の隆崇院の山門は、大給(分派)松平氏の菩提寺で版籍奉還後に廃寺となった松石山 乗政寺の遺構である。観音堂の外陣の絵天井は、狩野派によって描かれたものである。

寺宝

弁財天社

境内には岩村城の二の丸にあった弁財天社が移築されている。

管理文化財

石室千体仏

参考文献

  • 岐阜県岩村町役場 『岩村町史』十八 江戸時代の宗教 p317 昭和36年(1961年)
  • 女城主の里 いわむら (いわむら町まちづくり実行委員会 平成5年)
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