陳翔
事跡
陳翔は若い頃から名を知られ、交流を広げていた。孝廉となり、太尉の周景に高第に挙げられて侍御史となった。大将軍の梁冀におもねらなかったため、罪に問われた。
定襄太守となり、中央にもどって議郎となった。揚州刺史にうつった。そこで、豫章太守の王永と呉郡太守の徐参の不正を上奏した。徐参は当時権勢をふるっていた宦官の徐璜の弟であったので、威名はとどろいた。再び議郎とされ、御史中丞となった。
三国志演義
字を仲麟という。劉表の七友の一人であり、「江夏八俊」の一人としてあげられる。
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