阿倍沙弥麻呂
阿倍 沙弥麻呂(あべ の さみまろ)は、奈良時代の公卿。名は佐美麻呂・沙美麿・益麻呂[1]とも記される。系譜は明らかでないが、大錦下・阿倍名足の子とする系図がある[2]。官位は正四位下・参議。
凡例 阿倍沙弥麻呂 | |
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時代 | 奈良時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 天平宝字2年4月20日(758年5月31日) |
別名 | 佐美麻呂、沙美麿、益麻呂 |
官位 | 正四位下参議 |
主君 | 聖武天皇→孝謙天皇 |
氏族 | 阿倍氏 |
父母 | 父:阿倍名足? |
子 | 安倍東人 |
経歴
天平9年(737年)従五位下に叙爵し、翌天平10年(738年)少納言に任ぜられる。その後はほぼ3年おきに昇叙されるなど聖武朝で順調に昇進し、聖武天皇退位前の天平21年(749年)に従四位上まで昇進する。またこの間左中弁を務めた。
天平勝宝7年(755年)に防人を監督する勅使として大宰府に下向するが、その際に詠んだ和歌作品1首が『万葉集』に採録されている[3]。孝謙朝では一時昇進が止まるが、天平宝字元年(757年)正四位下・参議に叙任され、阿倍氏としては中納言・阿倍広庭以来25年振りに公卿に列すが、翌天平宝字2年(758年)4月20日卒去。最終官位は参議中務卿正四位下。
官歴
注記のないものは『六国史』に基づく。
脚注
- 『公卿補任』
- 栗原信充著「安倍氏系図」『玉簾』所収
- 『万葉集』巻20-4433
関連項目
- 阿倍広人…近親者と推定される。
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