関西大学経済学部
概要
1904年に関西法律学校本科に設立された経済学科を前身とし長い伝統を誇る。2年次秋学期からはゼミナールに所属し学習を進めることになっている[1][2]。学科としては経済学科1学科のみが置かれている[3]。
沿革
- 1904年 関西法律学校本科に経済学科を開設[1]。
- 1905年 私立関西大学経済学科に改組[1]。
- 1907年 学則改正によって大学部(法律科・経済科・商学科)と専門部に分かつ。大学部のなかに大学科と予科ができる[2]。
- 1911年 大学部・専門部の商業学科を高等商業学科と改称。高等商業予科を設置[2]。
- 1917年 専門部を専門部・専門部予科に分つ。専門部予科に法律・経済・高等商業の各予科を設置[2]。
- 1922年 関西大学商学部に改組[1]。
- 1924年 商学部を経済学部と改称[1]。
- 1935年 経済学部を経商学部と改称[4]。
- 1945年 経商学部を経済学部と改称[4]。
- 1948年 新制関西大学経済学部に改組[1]。
- 1951年 旧制学部最後の卒業式を挙行[5]。
- 1953年 学部第2部(夜間)を千里山から天六に全面移転[1]。
- 1959年 経済・政治研究所を設立[1]。
- 1994年 第2部が天六から千里山へ移転[1]。
- 2003年 第1部、第2部制を廃止[1]。
著名な出身者
政治
経済
- 西貞三郎 - 住友銀行副頭取
- 河村良彦 - 住友銀行常務、イトマン代表取締役社長
- 難波昭二郎 - ワーナー・パイオニア取締役
- 坂上守男 - 京都新聞代表取締役社長、日本新聞協会副会長
- 青砥順 - 米子信用金庫会長、米子信用金庫会長青砥喜三郎の子
- 高畑敬一 - 松下電器産業常務取締役
- 上月景正 - コナミホールディングス創業者・会長、コンピュータエンターテインメント協会初代会長
- 田中友幸 - 東宝映画会長、日本アカデミー賞協会副会長
- 河野隆 - ハウス食品代表取締役社長・会長
- 上原光徳 - 元西宮ストークス社長
- 中前公志 - 近畿大阪銀行社長、関西みらい銀行副会長、大阪銀行協会副会長
- 野田順弘 - オービック創業者・会長兼社長
- 吉松民雄 - コカ・コーラボトラーズジャパンホールディングス社長
- 山根義紘 - 日本テレビホールディングス副社長、日本テレビ放送網取締役執行役員
- 藤田研一 - シーメンス日本法人代表取締役社長
- 高島郁夫 - Francfranc創業者・社長
- 山田径男 - 香川銀行頭取
- 木村皓一 - 三起商行社長
研究
文化
- 浅暮三文 - 推理作家、日本推理作家協会賞、メフィスト賞
- 伊園旬 - 推理作家、『このミステリーがすごい!』大賞
- 戸部けいこ - 漫画家、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞
- 鳥海青児 - 洋画家、芸術選奨文部大臣賞、毎日芸術賞
芸能、スポーツ
脚注
- 関西大学のあゆみ - 関西大学
- 学部案内 - 関西大学経済学部
- 学生数(入学定員・収容定員) - 関西大学
- 実化 - 関西大学のあゆみ - 関西大学
- 関西大学年史編纂委員会 『関西大学百二十年史』 関西大学、2007年、395頁
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