長谷川聰
来歴・人物
川重社員時代は、ジェットエンジンの設計に長く携わってきた。航空宇宙事業本部・ジェットエンジン事業部第一技術部長、ガスタービン事業部航空エンジン技術部長などを歴任した技術畑出身の人物である[1]。
WEBメディアのビジネスジャーナルは「大庭浩会長、大橋忠晴社長当時、ビジネスチャンスを求めて中華人民共和国(中国)への新幹線売り込みのグランドデザインを描いたのが長谷川としている。しかし、川重がJR東日本(松田昌士会長)と組んで新幹線車輌技術(新幹線E2系電車)を提供した際、川重側の契約が「技術を盗んで下さい」といわんばかりに杜撰だったと指摘されている。そのため中国側に国家ぐるみで新幹線車輌技術を盗まれ米国やアジア諸国への売り込みを許しているばかりでなく、契約の拡大解釈ないし詭弁の類いで米国などへ国際特許出願までも許してしまった。」と報じた[1][2]。
のち代表取締役社長当時の2013年、三井造船との経営統合に反対していた大橋忠晴取締役会長が主導する臨時取締役会での解任動議で解任された[3][4]。
経歴
脚注
- “中国、日本の新幹線技術を国際特許出願…なぜ川崎重工は技術を流出させたのか”. ビジネスジャーナル編集部. エキサイトニュース (2013年6月28日). 2020年8月8日閲覧。
- “中国をつけ上がらせた親中派の財界人&経済人列伝【3】 JR東日本&川崎重工「中国の新幹線はJRの技術の盗用」”. ビジネスジャーナル編集部. ビジネスジャーナル (2012年10月9日). 2020年8月8日閲覧。
- 川崎重工臨時取締役会の舞台裏 日経スクープから解任劇へ発展 リークしたのは誰だ?
- 「川重、10対3で解任決定 総会前に異例の造反劇 」 日本経済新聞 2013/6/14付
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