鍾離嘉
生涯
許遜の姉の子。若くして父母が亡くなったが、性格はさっぱりとして清廉で、許遜はこれを道への資質があるとみて称賛し、弟子として引き取って教え、困った人を助け、病気を治したという。南昌西山丹陵観[1]で修道して、西山十二真君の一人となった。許遜の逝去の際には金丹(不老不死の薬、あるいはその術)を賜った。同年10月15日、天に碧霞宝車が現れ、鍾離嘉を伴って去っていったという。
脚注
- 『仙鑑』巻二十七「鍾離嘉所居地有観曰丹陵。」
参考資料
- 『太上霊宝浄明宗教録』
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