鉄道附属地
概要
ロシア帝国では、モスクワからウラジオストクに至るシベリア鉄道の一部として[1]、清を縦断する東清鉄道が計画された。
1896年に、ロシアは清と条約(露清密約)を結び、鉄道の建設に必要な土地の管理権を獲得した。これがいわゆる「鉄道附属地」である。
そしてロシアはこの条約を拡大解釈し、単なる土地の所有権だけでなく、清の行政権が及ばない排他的行政権を認めさせた。そして線路や駅など本来の鉄道用地のみならず、鉄道から数百メートルも離れた用地をも鉄道附属地とし、鉱山や都市を開発した。
脚注
- ロシア国内のみを通る国内線が完成するのは1916年である。
関連項目
外部リンク
- 世界飛び地領土研究会(飛地) - ウェイバックマシン(2002年12月1日アーカイブ分)(吉田一郎)
- 租界もどきのあやしい特殊地域 (鉄道付属地,新市街,避暑地) - ウェイバックマシン(2004年2月16日アーカイブ分)
- インフラ飛び地 - ウェイバックマシン(2005年11月4日アーカイブ分)
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