郎官
郎官(ろうかん)は尊称は郎君、略称は郎で中国の官職名である。定数は定めがなく、通常は侍従・副官に類する物で、詔に従って行動する。『史記』の『袁盎・晁错列伝』には「且陛下從代來,每朝,郎官上書疏,未嘗不止輦受其言」とある。
漢代では、大臣への褒賞として、しばしば二千石の官職者の子が郎官に任じられていた。このため後には諸侯・士大夫の師弟を郎君と呼ぶようになった。『文選』に応璩の言葉が収められている「外嘉郎君謙下之德,内幸頑才見誠知己」
歴史
秦代および漢代では、郎官は郎中令の管轄に属し、君主の近侍であり、定数は不定で多ければ数千人に達した。出自としては青年才俊の者、父蔭を受けたもの、さらには金銭を寄付した者であり、議郎、中郎、侍郎、郎中などの名称があった。帝王の宮殿を守衛し、外出時も車騎で護衛することが主な職責だった。文官としての郎官もまた、常に君主の側に仕える顧問だった。魏・晉では郎官が流行し、秘書郎、著作郎、黃門郎などがあった。隋・唐では朝議郎、通直郎などがあった。
もともと郎官に属していた侍郎は尚書の補佐役となり、また、郎中や員外郎などの司官もあった。
参考文献
- 『中国歴代職官大辞典』
外部リンク
- 福永 善隆「前漢における内朝の形成 : 郎官・大夫の変遷を中心として」『史学雑誌』第120巻第8号、2011年、1339-1376頁、doi:10.24471/shigaku.120.8_1339。
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