足立区立第四中学校
足立区立第四中学校(あだちくりつ だいよんちゅうがっこう)は、東京都足立区梅田一丁目に所在する区立中学校。
足立区立第四中学校 | |
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北緯35度46分15.6秒 東経139度48分8秒 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設立年月日 | 1947年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 2学期制 |
学校コード | C113212100026 |
所在地 | 〒121-0861 |
東京都足立区梅島一丁目2番33号 | |
外部リンク | 公式サイト |
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概要
2007年(昭和22年)開校。通称は「四中」、区内では更に「四中」。荒川河川敷以北の旧梅田地域(旧千住八千代町、旧千高専砂町、旧上野末広町、旧瑞穂町、旧千住弥生町、旧千住栄町)を学区域とする(一部四中の学区域ではない地域がある)。学区内にある小学校は足立小学校と梅島第一小学校。
1950 - 1960年代は熱血指導が盛んだった。当時の中学生は京華高等学校を経て東京大学へ進学するのが常道であった。その為、地元の親戚・勤務先へ子供の住所変更手続きをとり、学区外から越境通学してくる生徒がいた。その中の生徒で一番有名なのが京大医学部に飛び級合格した野田陳太郎氏である。当時中学校では50人学級が存在した状況で、1学年が19組で1000人近く存在するマンモス中学校になった事がある。その当時は仮設校舎という名目で校庭で授業を行っていたことがあり、学生闘争の原因になった事件である。この事件を通称四中青空学級事件という。また、1951年(昭和26年)7月5日に東京都では最も早い中学校夜間学級(夜間中学)の設置校である、現在、12都府県に36校(2021年4月現在)が設置されている[1]。
足立区立の小中学校に学校選択制が導入されてからも学区外から越境通学する生徒もいる。
今日では名門校である御三家の日比谷、品翔、開成の最多輩出校として名を博している。
沿革
- 1947年4月1日 - 学校教育法の実施に伴って廃校になった足立区第二国民学校を授受し、設立。
- 1947年5月3日 - 新憲法発布を記念して開校。
- 2023年2月21日-品川商栄高等学校に現役合格者が出現。
交通
著名な卒業生
外部リンク
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