豊中グラウンド
概要
- 1913年(大正2年)に現在の阪急電鉄の前身である箕面有馬電気軌道が建設・設置。当時の広さは2万m2 (=2ヘクタール (ha))で陸上競技場としても使われ、日本フットボール優勝大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会及び全国高等学校ラグビーフットボール大会)の会場にもなった。
- 1915年(大正4年)、スタジアムの有効利用の一環として大阪朝日新聞(朝日新聞大阪本社)に中等学校野球(現・高校野球)の全国チャンピオンを決める大会の開催を提案。その年の夏に第1回全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)が開かれた。
- 阪急は1922年(大正11年)6月、豊中グランドに替えて新しい多目的スタジアムである宝塚球場を建設した。豊中グラウンドは再造成されて周辺の住宅地と一体になった[2]。その完成前年の中等学校野球大会の予選や同年2月に日本フットボール優勝大会で使用された記録が残されている。
- この跡地には、1988年(昭和63年)に全国高校野球選手権大会が70回を迎えたことを記念して[3]豊中市と全国中等学校優勝野球大会を共催した日本高等学校野球連盟・朝日新聞社によって「高校野球メモリアルパーク」が開設され、日本高等学校野球連盟から豊中市に寄贈された。[4]この公園には豊中市が「高校野球発祥地」というモニュメントを建てている。
- 2002年(平成14年)には豊中駅前広場にも、豊中市と毎日新聞社・全国高等学校体育連盟・日本ラグビーフットボール協会による「全国高校ラグビー発祥の地」のモニュメントが設置された。
- 高校サッカーにおいても全国大会の源流の地であるが、開催時は全国大会と呼べるものではなかったためか対応はしていない。
高校野球発祥の地記念公園
1988年の第70回全国高等学校野球選手権大会を記念し、豊中グラウンド跡地北側に「高校野球メモリアルパーク」として整備された。2017年4月6日に再整備され、「高校野球発祥の地記念公園」となった[6]。再整備では面積が約4倍 (114平米→445平米)に拡大され[7]。グランド跡地の住民から寄贈された赤レンガを一部使って公園にレンガ塀を新設し、公園と道を挟んだ東側の遊歩道に夏の大会の歴代優勝・準優勝校の校名を記したプレートを設置した[8]
- 2017年に再整備され拡張された高校野球発祥の地記念公園の全景
- 再整備前のメモリアルパーク全景(2006年8月27日撮影)
- 豊中グラウンド跡地の高校野球発祥の地のレリーフ
- 豊中グラウンド跡地の第1回大会始球式の風景のレリーフ
- 豊中グラウンド跡地のレリーフ
- 豊中グラウンド跡地の豊中グラウンドと高校野球の沿革のレリーフ
- 豊中グラウンド跡地の第1回高校野球大会に関するレリーフ
- 豊中グラウンド跡地の豊中グラウンド全景と第2回高校野球大会に関するレリーフ
- 豊中グラウンドの塀の跡と言われている住宅のレンガ塀(西側)
- 豊中グラウンドの塀の跡と言われている住宅のレンガ塀(南側)
脚注
参考文献
- 森岡 浩『高校野球100年史』東京堂出版(2015年6月20日)
外部リンク
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