観音坂
概要
観音坂は、東京都渋谷区千駄ヶ谷一丁目と二丁目の境界にある、聖輪寺門前の坂である[1]。明治公園、国立競技場脇の外苑西通り「観音橋交差点」を西に折れた聖輪寺前から坂は始まり、瑞円寺入口前を通って鳩森八幡神社のある台地まで登っている。
聖輪寺
聖輪寺(しょうりんじ)は、観音坂の坂下にある真言宗の寺である。山号は、観谷山福聚院。千年以上の寺歴を持つ寺で、江戸寺院中でも浅草の浅草寺と並んで最も古い寺のひとつといわれる[1]。
聖輪寺の本尊は如意輪観音である[1]。これは円仁(慈覚大師)、もしくは行基の作と伝わる十一面如意輪観音であったが、大東亜戦争中の1945年(昭和20年)5月、アメリカ軍による空襲を受けて焼失した[2]。
この観音には、観音の眼が金だと聞いた賊が寺に盗みに入ったところ自分の刀に貫かれて死んでしまい、爾来「目玉の観音」として崇められたとの言い伝えがあった[3]。地誌『江戸名所図会』には、聖輪寺が浅草寺と並んで千年以上の歴史を持つ江戸の寺であるという菊岡占涼による説と、身の丈が3尺5寸で両目が金で作られていたという目玉の観音の伝説が紹介されている[4]。
詳細は「聖輪寺」を参照
観音橋
観音橋はかつて穏田川(渋谷川の上流)にかかっていた橋で、観音坂の坂下にあった。暗渠となったかつての穏田川(渋谷川)は、千駄ヶ谷付近では渋谷区と新宿区の境となって跡を留めているが、そのすぐ西に開通した外苑西通りと、観音坂から観音橋を渡って国立霞ヶ丘競技場の南を東へ向かっていた道との交差点が「観音橋」と名付けられており、かつてこの地に川が流れ橋が架かっていたことの名残りと、国立競技場の建て替え前にはそこから道が東へ伸びていた目印となっている。
その他の観音坂
東京都内には千駄ヶ谷の観音坂のほか、新宿と神田にも観音坂として知られる坂がある。
脚注
- 「観音坂」 横関英一 『江戸の坂 東京の坂(全)』 筑摩書房 平成22年11月10日発行
- 「観音坂」 渋谷区教育委員会設置による標識の説明
- 『渋谷の坂』
- 「観音坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行
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